あれやこれやの、iPad♪ 〜コイツは、本当に家庭用デバイスになりえるのか?

 

2010年02月03日

 
あれやこれやの、iPad♪

 〜コイツは、本当に家庭用デバイスになりえるのか?

発売までまだ遠い「iPad」であるが、ネット上で半ば祭りに近い騒ぎになっている。

そんな記事の中に、出版業界に関するものや、教育市場に関するものなど、いまだ未知数な部分について書かれたものが多い。

教育市場について語るほどの知識も見識もないが、小学校レベルの入り口として「iPad」は、最適な機種になる可能性はある。

ただし、材質や外装デザインなど、少々乱暴に扱われたとしても、簡単には壊れない堅牢性と安全性を確保する必要があるだろう。

(液晶がガラスパネルぢゃ、割れるとマズイよな。)

で、個人的に期待するのは家庭用端末である、という視点からいろいろと妄想を展開してみた。



各サイトの記者や執筆者は、二言目には自分の両親あたりを想定した、高齢者むけの「かんたん端末」の可能性に言及している。

だいたい30代後半から40代前半の連中に、そういう見方をする傾向が強い。彼らの両親は、概ね60代であるとおもわれるが、働き盛りの年代にとっては、よっぽど親の世話が面倒なんだろう。(ま、気持ちはわかるが…)

携帯電話でも、その方面向けの機器がそれなりの売上げを伸ばしている事実もある。たしかに、ハイテク機器が苦手な高齢者は「The Rest of Us」の代表格かもしれない。

しかし、この手の得手不得手は、実は年齢とは全く関係がなかったりする。

さすがに、70代後半からそれ以上になると得意とする人は激減するが、苦手な人はどの世代にも存在するし、得意な人も同様である。

原理は理解できていなくても、探求心旺盛な人は年齢に関係なく存在するし、逆にこの手のモノをまったく受け付けない、一種のアレルギー症状を表す人もけっこう幅広い世代に渡って存在する。

同様に、子供は誰でも使えるというのも、実はアテにならない。

子供だって、絶対数や割合は少ないかもしれないが、苦手とする子もいるのだ。

ここが重要なところだが、現在のパソコン教育の一元的なアプローチは、子供に対するものだけではなく、一般に対しても習得を困難にしている側面があると思う。

そのような問題が、ひとつのデバイスで解決されるわけでもないし、その価格が唯一の障害になっているわけでもない。

実際に、教育用の低価格コンピュータが必要だと思われている国や地域には、それ以前の解決するべき問題が山積しているわけで、iPad に限らずインフラあってのコンピュータであることに、大きな違いはない。

ただ、子供の場合は興味さえ持てるようになれば、教える以上に吸収する力はあるので、アプローチの仕方によってはすんなり入っていける場合もある。

この手のモノを苦手とする、子供と高齢者(とは限らない)の共通点は、モードの切替えに対する抵抗感である。要するに、頭の切り替えができるかどうかであり、普段の生活で接しているモノとのギャップが少なければその抵抗感は最小で済む。

iPad のデモを見ても、そのマンガチックな動作をパワーを浪費する無駄なモノと断定する輩もいるようだが、少なくともパーソナル機器においては、テクノロジーとか処理能力みたいなものは、本来そのような部分に対して優先して使用されるべきものである。

もちろん、その動作の意味を正しく認識していないために、無様なインターフェイスになってしまった例も少なくないので、その筋の専門的な研究に基づく設計が必要である。

アップル(Mac OS や iPhone OS)といえども完璧ではないが、アイコンや起動時のアニメーションなどを見ても、ユーザが一目見てその機能を理解でき、どのようなアクションが選択されたのかを表現しようとしている。

ひとつのインターフェイスで、同じような動作を繰り返す必要もある業務使用と、個人ユーザが楽しみで行う作業の両方に向いた環境を構築するのは容易なことではない。

たとえば、Magic Mouse やトラックバッドのように、指先に対する抵抗を減らせば、長時間作業における疲労感は少ない。しかし、人間の感覚として指先へのフィードバックがないことで、操作したことの実感が湧きにくいというデメリットも生まれる。

ソフトキーボードなどは、いっそ一昔前のオフコンのようにキーを叩くたんびに、音でも出した方が好まれるかもしれない。

(あれ、鬱陶しいけど、ピコピコサンダルというのもあったし、三歳以下の子供とその親は喜ぶよな)

加齢や健康上の問題により、高解像度な大画面の中で、小さなポインタの位置を目で追うことが困難な場合もあるし、それに伴う疲労も少なくない。

そのような点においてタッチパネルの採用は、現実世界での使用法に近づけるひとつの方法として、評価されるべきものである。

だが、選択する手先の移動量を考えれば、それほど大きな画面にも適用できるとも思えない。

従来のデスクトップ上に鎮座したモニタと、その前に座る人間の位置関係では、どだい無理がある。マウスなどを操作する時の物理的な移動量に比べて、相当なエネルギーが必要になり腕が疲れるだけだ。

必然的に手元に引き寄せることが必要になり、画面サイズもせいぜい15インチ程度までだろう。

これを解決するのは、近年一般家庭に浸透しつつあるテレビがもつ大画面である。37インチ以上でも、解像度はせいぜい1920×1080 程度しかないが、逆に文字などが必要以上に小さくならなくて済む。

複数のユーザによる共同作業、または図表や写真もしくは動画など、 広範囲なエリアが必要になる作業においては、最近のデジタル放送に対応した高解像度テレビジョンとの連携が、手元で操作する機器の小型化によるデメリットをカバーすることができる。

もちろん、そのような環境下にない場合では、単独での使用ができることが必修であることは言うまでもない。

ということで、次なる一手はホームサーバだ。

現状の Apple TV や Time Capsule のような消極的なアプローチでなく、高速ワイヤレス通信を活用し、家庭内で供給されるべきデータの蓄積やテレビ画面との連携が可能な、ベースステーションとしての機能を盛り込んだホームサーバである。

CD、DVD、メモリカードなど、レガシーなメディアとの連携はホームサーバに任せて、コントローラ端末としての「iPad」側には、極力インターフェエイスは少ない方が良い。

ホームサーバの管理には、Mac なり Windows なりのパソコンが必要になることは避けられないことかもしれないが、それも程度問題で通常の運用に関しては、メンテナンスフリーが前提である。

過渡期のステップとしては、Mac mini のような Mac OS 搭載の機器が、その役割を担うというシナリオも考えられるが、いずれはサーバがコンピュータであるという意識もなくす必要があるだろう。

もちろん現時点での「iPad」に、そのような機能を期待しているわけではない。あくまでも、ネクストステップである。

ただ、iPad、iPhone、iPod などがパソコンを母艦として、有線接続しなければできないことがある限りは、次のステップへ上がれないことも確かだ。

母艦を必要としない、メディアも不要という点では、必ずや高速無線通信がそのキーワードになるはずだ。



昨今話題のクラウドコンピューティングに対しては、なぜそんなものまで外部に持ち出して公開する必要があるのかという観点から、一般的には懐疑的な意見も根強い。

共同作業や、蓄積された知識の共有が必要な業務用途でのメリットはあるだろう。

だが、その技術的な成果を全てに適用しようとする合理主義には、弊害が多すぎる。

通信事業者の利益のために、個人データの流出の糸口を積極的に与えているようなものだ。

外出先からでもアクセスできるメリットは理解できるが、個人として利便性を期待してネットワークを利用する場合、何を公開しまたはしないか、その選択はユーザに委ねられるべきである。

ネット上にデータを公開する場合は、セキュリレベルにおいて信頼できるシステムでなければ、利便性と引き換えにされる代償は大きい、という点も考慮しておく必要がある。

また、 一般家庭に浸透するためには、その機能を実現するためのソフトウェアのアップデートや修正がデバイスメーカによって自動更新される、標準添付の方がウケがよい。

必要に応じて、後からユーザが任意にに追加するという形態をとる場合でも、あくまでも標準機能の範囲内という考え方に基づいて、全て無償で賄えることが望ましい。

一般消費者の中にはモノを買う場合、継続的に金を払い続けることに嫌悪感を抱く人たちも多い。(本来は、消費者ではなくお客様なのだが)

そうでなくても、通信料金、公共料金、保険料、年金など、払い続けながら目の前にその対価というか、メリットをすぐに見いだせないものがやたらと多い世の中だ。

物々交換の原則に従って現金でしか物を買わない、形のないものには金を払いたくないという人だっているが、これはもう、精神衛生上の問題といってもいいだろう。

若い(とも限らないが、計算高い)連中にとっては、結果的にはこちらの方がお得ですよというものであっても、それが一般には理解不能な複雑な計算によってはじき出されるようなものに対して、そのような消費者はついてこない。

携帯電話の料金体系をみれば、誰だって詐欺師と取引をしているような錯覚に陥るが、たいていの場合それは錯覚ではない。

(バカみたいにデカい文字で書いてあるものは、読めないほど小さく薄い字で書いてあるものとセットで、100% ワナであると思って間違いない)

通信技術とデジタルテクノロジーの普及によって、音楽でも映像でも書籍でも、所有せずにただ利用するという行為に対して支払う金額が増大している。

売る側では、所詮複製を売っているに過ぎないにもかかわらず、既存のビジネスモデルと共存を欲張るために、どうしても価格の面でバランスを取ろうとする。

買う側の視点では、果たして実体があるのかどうかも分からないモノに、価格面では思い切ったメリットも見いだせていない。

消費者にとってモノを買うのでなく借りるような行為であり、自分のモノになったという感覚が希薄なのである。 不要になったからといって転売することもできない、ソフトウェアのアクティベーションなどはこの典型である。

結果として、「ボッタクリぢゃあねえのか」という意識を生み出してしまうところに、壁があるように思う。

ようするに、多少高く付いても買い切りが喜ばれる購買層もある、ということだ。

ホームサーバの考え方は、少なくとも自宅敷地内に全てのコンテンツが存在するという、安心感(または幻想)がウリである。

問題があるとすれば、技術面でなくビジネスという点においてであろう。少なくとも、コンピュータ業界と家電業界にとっては、連携によるメリットの要素は少なくないと思う。

コンピュータ業界にかぎらず、何事もすぐにうま味のあるビジネスに結びつけたがるので、利益配分まで考えてシステム構築が為されないと、中途半端に終わることが多い。

もちろん、ビジネスにならなけりゃどんな企業も手は出さないが、問題はどの業界も短期間での収益回収を期待しすぎるところにある。

豚は太らせてから喰えの喩えと同様に、フリーミアムの考え方にそって考えれば、請求書をあまり急ぎ過ぎるとユーザはついてこない。悪く言えば、騙し方に巧妙さが足りないのだ。

ま、この点については環境保護と称して、二酸化炭素排出量取引まで考えつくような、狡猾な連中に任せておけば良い。

たぶん、別の方法で金を巻き上げる、巧妙な手口を考えてくれるに違いない。

……ということで、ヒトツよろしく。

2010年02月某日 Hexagon/Okayama, Japan