Apple について

 

2010年08月18日

 
Apple について

ここ最近、会社規模が大きくなってかつてのようなチャレンジグスピリットに翳りが見え始めたのでないか、などと大っぴらに陰口をたたかれる、Apple である。

二言目には、やれブランドイメージとか企業体質とか言われているが、昔の Apple を知る者から見れば、Apple は何も変わっちゃいない。

iPhone はおろか、iPod が売れ始める前から今に至るまで、Apple がユーザに対して見せている面に、何も大きな変化は無い。

単に見る側の視点というか、見られ方が変化しているだけだと思う。それでも、その昔に比べりゃ遥かにマシになったと言っても過言ではない。ブランドという意味においては、昔から高級品として存在していた。

お洒落を演出しているということに関しては、この30年終始一貫している数少ない、いや唯一といってもいい企業だ。だって、ファッション業界ぢゃあるまいし、そんなものをウリにしているコンピュータメーカが、80~90年代を生き延びれるほど、甘い業界ではないだろう。

ま、そのせいか、いっぺん死にかけちゃいるけどね。

製品の作りとかサポートという視点に限った話になるが、Apple について書いてみる。

会社のポリシーとか経営方針など、詳細な資料など全く持ち合わせていないので、あくまでもいちユーザの立場からの視点であることを断っておく。

そうか、そんなにヒマならお付き合いいただこう。


70年代後半から80年代前半の Apple は、その実態はさておき、夢を売る会社である。(だって高くてとても買えなかったから、実態なんか知らねえよ)

どんなジャンルに製品にもいえることだが、互換品またはサードパーティ製品に比べると、純正品は高価だ。

かつての Apple 製品も当時の為替相場やら、国内の輸入代理店の思惑などによって定められた価格は、それこそベラボウな値段だった。

その値段に見合うほどの性能とか、機能があったわけでもないのだろうが、なにせ高くて買えないからわからない。

わからないから、俄然興味も湧く。

オレのはパチもんだけど、純正はどうなんだろうなあ、と。


Apple II のデザインは、ただ、単にその辺にあるパーツを組合わせただけのタンディや、オーディ機器のように一見クールに見えるが、実はよく見ると安っぽいシャープの MZ シリーズなどと比べても、はるかにスマートだ。

コモドールは、別の意味でカッコよかったが、さりとてお洒落ではなかった。あくまでも、業務用機としてのデザインなのである。

周辺機器にだってちゃんとアップルのロゴが入っているし、カタログだってお洒落なオフィスや、裕福そうなご家庭のリビングを舞台に展開する。

ここで言うオフィスとは、けっして事務所ではないという意味で、そこには微妙な違いがある。

それは、コンピュータのことなど全く意識しないで設えた趣味の良い家具の中に、ある日突然やってきたとしても、さほど違和感なく溶け込めてしまうようなデザイである。それは、我身を振返っても言えることだが、自宅のパソコン用デスクを選択するに当たって、OAファニチャーから選んでしまうような、無粋なセンスではない。

そんなイメージばかりが先行する、国内の代理店もそれを利用して高いマージンを取ることに成功していた、ある意味良い時代だ。

だって、こんなもん買うのは極々限られた人たちだしい、こっちも商売だからねぇ、いやならやめとけば? …的な空気が充満した当時のパソコンショップに、一種マゾっ気たっぷりに、通い詰めた経験がある人にはわかると思う。

なにせ、海にモンとも山のモンともわからぬ計算機とやらに大枚はたこうかというのは、一般常識人の域を完全に逸脱し行為にほかならない。

ましてや、そんなモノに興味を持ち始めた者にとって、当時のコンピュータはまだ生活がかかった道具などではなく、128% 趣味であり、道楽なのだから。

そんな連中から見れば、その他のメーカは、いかにも電算室ばりの空間や、典型的な事務室然としたイメージでアピールしてたんだから、夢も膨らみ方が違って当然である。

別にメーカとしては、そんな道楽モン相手にアピールしていたつもりはないのだろうけど、いつの時代も真っ先に食い付くのは、そんな連中だ。

ま、そんなイメージ先行の市場に、決定的なトドメを指したのが 1984年の Apple IIc とそのカタログおよびマニュアルだろう。

カタログは、ポップなイメージで目に突き刺さる黄色いトレーナを着た女性が Apple IIc を抱えて、いかにもどこへでも持っていけます的なポーズで決めた写真が使われている。

その白いボディは、従来のビジネスマシンとしてのコンピュータから、カルく2世代ぐらいワープしたイメージを抱かせるのに充分なインパクトを持っていた。

これなら私にも使えそう、という幻想を抱かせずにはおかない。そんな無謀な買い物を決断させるカタログである。

また、購入後もそれが幻想であることをしばらくは気付かせない、巧妙なマニュアルでユーザを唆す2段構えの作戦だ。

他の製品にありがちな、電話帳なみのゴツいものが何冊も付いていて、それこそ冗談抜きで台車が必要なくらいが当たり前の、そんなものと比べるべくも無い。

それは絵本のような装丁と、初心者にもわかりやすい内容のマニュアルで、開いたまま眺められるバインダ形式である。

もちろん、一ページに書かれている文字数も少なく、イラストや写真が多用された読物のようなマニュアルで購入者を魅了し、間違った決断をしてしまったことに気付くのを随分と遅らせてくれる。

どうせ私を騙すなら、騙し続けて欲しい…という、女心ユーザ心理を裏切らないアレだな。


そんな、儚い夢を与えてくれる、そして決して叶えてはくれない存在が、そこにはあった。


80年代中頃の Apple は、あらゆるものに手を出すチャレンジャー精神が旺盛な会社である。(ま、見方をかえれば迷走の時代と言えなくもない。)

Apple II シリーズに加えて、Apple III や Lisa、ついには Macintosh も発売されたらしいが、地元での情報は限られる。

本家 Mac World や A+ など、英語版の雑誌を丸善に注文しても三カ月待ちが当たり前の時代。しまいには、辞書片手に定期購読の申し込み葉書を書き、郵便による振込手続きという手間をかけてまで、書籍輸入をを敢行する始末。

英語の記事の内容はよくわからんかったが、 A+ に掲載された Apple II の写真を眺めるだけでも、夢を見ることはできたと思う。

丸善といえば思い出すのが、当時レジカウンターの後ろに設置された、5.25 インチ3ドライブ付きの IBM 5550 に熱い視線を送っていた男に対して、気味悪そうな表情を隠そうともしない、レジの姉ちゃんの冷たい視線だ。

あんたを見てたわけぢゃねえよと、よっぽど言ってやろうかと思ったが、そっちのほうが一層キモイよな。

このあたりのバランスは、ポルシェやフェラーリも好きだが、ボルボやスカニアのトラックも好き、と言えば分かってもらえる…、わけないか?

…余談である。


Macintosh に対しても、やたら高価でロクに日本語にも対応していなさそうなモノにおいそれと手を出すほど余裕はない。

ま、Apple IIc で充分だろうと横目で見る程度だが、どうにも気になって仕方がない。職場で使う PC-9801 に比べて、いったい何がいいのか、まだ漠然とした時期でもある。

Apple IIc も、本体とCRT は地元のショップで購入したものの、どうしても純正の液晶モニタが欲しい。

が、当然田舎町にそんなものがあるはずもなく、限られた情報源である専門誌の広告記事を頼りに、遠く秋葉原のイケショップだったか亜土電子だったか記憶は定かでないが、はるばる買い付けに走った。

今となっては、購入価格さえ覚えていないが、多分それほど安くはなかったと思う。

しかし、ガード下も含めてお買い得品をノンビリと探す楽しみなど、東京近郊に住む者だけに与えられた特権である。

交通費と時間を考えれば、田舎者にとって手ぶらで帰ることこそが大罪であり、すでにその時点で価格などは、大した問題ではないのである。

モノクロ液晶とはいえ、同一デザインの組合せは美しく、バッテリー駆動でもない Apple IIc に、まだ見ぬモバイルコンピューティングの夢を馳せた瞬間である。

その後、しばらくして映画「2010年」で、Apple IIc & LCD Monitor を浜辺で使う主人公を見た時、なぜかあの苦労と散財が報われたような気がしたものだ。

浜辺で電源をどうやって確保したのかとか、15年以上もたったコンピュータなど使えるものかなど、当時そんな野暮な事を言っているのは、美を解さないオタク達だけだ。

Apple IIc & LCD Monitor には、そんな些細な問題をねじ伏せてしまう様式美が、確かにあったのだ。

てか、おい2010年といえば、今年だよねえ、う~む。

ちなみに、右の写真は他所ん家からのパチリだが、まことに風情があって良い景観だなあ。

そんな、アホらしくも逞しいばかりのパワーを与えてくれる存在が、そこにはあった。


80年代後半の Apple は、マッキントッシュな会社である。
(スティーブは追い出されたが、そのビジョンは残った)

その後、国内でも刊行された雑誌 BugNews やらパソコンワールドやら、Macintosh の先進性について書かれたものは極力チェックするようになるが、いかんせん実物を拝むチャンスは少ない。

が、ほどなく地元のショップにも展示が始まった頃には、充分な耳年増に成り上がっていたとはいえ、初めての展示機を目の前にして、まるでわが所有物のように使えることに、軽い目眩と共に大きなショックを受ける。

これこそが、Apple の考えるユーザインターフェイスのなせる業なのか。

マニュアルが書かれた言語など英語であろうが、スワヒリ語であろうが関係ない、マニュアルそのものが必要ないのだ。

これはまずいぞ、日本語対応などまだまだ先と考えていた Macintosh 購入計画を前倒しする可能性を探らねばならなくなったが、全くアテは無い、金策に走らねば。

この時代、早期に発売された純正品といえば、フロッピーインターフェイスに接続する大容量20MB(ギガぢゃないよ、メガね)の死ぬほど遅いハードディスクと、ドットインパクトがうるさいイメージライタぐらい。


ま、ウルサイったって当時仕事用に使っていた、NEC NM-9400 に比べりゃ可愛いもんだ。 普通のドットインパクトは「チー・チロチロ」という程度だが、コイツは、水平に並べられたピンが同時に打つ仕様なんで、その騒音たるや半端ぢゃない。特に横罫線など引くときなどは、「ギャッギャッギャ〜ギョワ〜」という感じになり、OA 機器というより電動工具か大工道具に近い。

さすがに、ハードディスクは恐れ多くて考えもしなかったが、イメージライタはいつかは手に入れようと考えてはいた。何時の日にか、Macintosh が買えるようになっても先行投資となるはずだ、と。

そんな気にさせるのが、サンダースキャンというサードパーティ製のスキャナディバイスである。

イメージライタのインクリボンに替えてセットすることで、本来出力機であるプリンタを入力ディバイスに変身させてしまうアイデア商品である。当時は、どこからそんな発想が生まれるのか、と感心させられたものだ。

事務機の世界に埋没しつつある、ビジネス用途の国産パソコンでは考えられない、または考えても製品化されることは金輪際ないだろうという製品である。

一般ユーザの目に触れないところでボツになったアイデアというのは、それがどんなに優れていても商品化まで漕ぎ着けなければ、無かったも同然である。

常々思うのは、いくら部品として優れた技術的背景があっても、それだけでは価値がないということだ。商品化してその使い勝手や完成度など、ユーザにその価値を問うことができた物だけが、評価を受ける栄誉に与れるのである。

しかし、サンダースキャンはサードパーティ製品ながら、ほぼ純正といえるほどの完成度と、競争のまだ少ない市場でマックビジョンというビデオキャプチャセットと並んで、定番的な地位を築き上げていた。

ま、サードパーティ製といっても、開発元がアンディ・ハーツフェルド絡みであるので、半分純正みたいなもんだろう。彼の作ったスイッチャなんぞは、まんま今の Mac OS X に搭載されている Spaces そのものだ。

そのうちプリンタは、ImageWriter II になって、それまでの事務機然としたデザインは大きく変わった。Macintosh 用の周辺機器でありながら、その白いボディはApple IIc ユーザを誑かすに充分な芳香を放っていたのだ。

加えて、単票用紙を供給できるカットシートフィーダを載せたその佇まいには、完全に目がハート型である。

これをわが物にせず、なんの Apple IIc ユーザであり続ける意味があろう。Macintosh 購入計画が、根底から覆りそうな不安に駆られながらも、もう止まらない。

ガキの頃、男の人生には女房子供を質に入れても手に入れなければならぬモノとの出会いがある、と死んだ爺ちゃんが言っておったが、そうかその時が来たのか。

おかげで、Macintosh 購入計画は、Macintosh Plus & External Floppy Drive に加えて、ImageWriter II & CutSheet Feeder + ThunderScan という豪華絢爛な組合せに肥大化した。

で、実はウチの女房子供は大した質草にもならぬことにも気付いて、五年ローンという暴挙に及ぶ。完済されるのは、もう90年代という時期になってしまうのであった。

そんな、前人未到のジャングルをも恐れぬ勇気を与えてくれる存在が、そこにはあった。

それも、ひとえに Apple という企業が Macintosh という製品を通じてユーザに与えてくれるパワーであり、ファッショナブルとかお洒落なとか、そんなレベルのブランド商品などではない。

もっと根の深い、どちらかといえば、キモい言い方になるが、信仰に近いのかもしれない。

当然、ビジネスの視点でしかコンピュータを見ようとしない、職場内の同僚たちには、コンピュータに入れ揚げる姿を蔑視され続ける。

所詮、モノクロのまともに日本語も扱えないオモチャにすぎない半端物、と。

そのような、風潮を一掃するかのパワーを持った製品として登場するのが、Apple Laser Writer である。

当時の24ドット(実質22ドット)のドットインパクトプリンタ PC-PR201シリーズの縦倍・横倍・縦横四倍角の文字をあざ笑うかのような、300dpiの  Apple 純正品である。

日本語対応は、その後の Laser Writer NTX の登場まで待たねばならぬが、PC98 陣営に対しては一矢報いたつもりになっていた、我が身が微笑ましい。

画面がいくらカラーになろうとせいぜい8色程度であり、ましてやそのたった8色のカラーでさえ紙媒体で手に入れることは、個人ユーザにとっては不可能な時代である。

それなら、画面がモノクロであることはかえってイメージ通りの出力が得られることになり、背景が白い画面の意味が判らぬのか、とばかりに負け惜しみをあちこちで吹聴して、ひんしゅくを買う日々であった。

くやしかったら、画面通りに黒地に緑や赤の文字で、ゴシック体を印刷してみやがれ…と。

そんな、負け犬の遠吠え的な日々も長くは続かない。 Apple が必ずや恨みを晴らしてくれるに違いない、と信じて疑わないユーザを狂喜乱舞させる出来事が、1987年に発生する。

Mac Plus のローンを組んだばかりの身には、喜びとともに絶望感と疎外感をも同時にもたらす、女房子供を質に入れたぐらいでは済まない、圧倒的な高価格をもって、Macintosh II の登場である。

その絶望感から転職を決意し、この頃はすでに Macintosh User から Macintosh Reseller に身を置く立場になっていたが、純粋にビジネスとしてコンピュータを見る目は、まだ持てていなかった。(たぶん、今も…)

Macintosh II は、いわずと知れた Macintosh シリーズ初のカラーマシンであり、従来の拡張性のないコンパクトシリーズとは一線を画すビジネスマシンである。(ひねくれた言い方をすれば、バスか大型トラックだな)

DTP ブームに火をつけるキッカケにもなった、Laser Writer とコイツがあれば、ある意味無敵な組合せである。

しかし、個人ユーザでも Laser Writer NTX を購入するユーザが幾人か存在し、イメージライタではとうてい太刀打ちできない世界を目の当たりにする。

それに引き換え、HP デスクライタあたりでお茶を濁そうと足掻く我が身を振り返り、ん~やっぱ、この世界も金次第だな~、と妙に冷めた視点に変化して来た時期でもある。


80年代末期の Apple は、いわば放置プレイの会社である。
(手当り次第製品は出すが、その後何にもフォローしない)

新製品が出ても、全モデルに比べて劇的な改善はされていない半端な仕様であることが多い。

ただ、発表される製品数だけは多い。

・Macintosh SE (1987)
・Macintosh II (1987)
・Macintosh IIx (1988)
・Macintosh SE/30 (1989)
・Macintosh IIcx (1989)
・Macintosh IIci (1989)
・Macintosh Portable (1989)

などなど。

Macintosh II から Macintosh IIci までは、その後のデザインに比べりゃマシだが、性能的には今考えると目糞鼻糞である。

しかし、例外的に Macintosh SE とSE/30 だけは、性能差はかなり大きい。が、価格もスゴイ。(108万8000円/当時)


前述の Laser Writer NTX を購入した個人ユーザは、この Macintosh SE/30 とセットでお買い上げであるから、目も点になるバブルな時代。

Apple が、次から次へと新製品を発表するので、あの時代サードパーティ製品も勢いがよかった。純正品が無いか、またはあっても高価なため、正味の性能や機能を求めるユーザにはよく売れた。

たとえば、ハードディスク。

5インチフルハイトとかハーフハイトという、バカみたいに重たいドライブを積んでいた。

その頃よく引き合いがあったのは、クレートとジャスミンだ。

クレートは、鉄板の箱に全面にはアクセスインジケータと電源ランプのLEDがついた黒いプラスチックのフタが貼付けてあった。

Mac用として販売されながら、それはIBM PC のようなデザインで、その筐体はどこか四国の名物「かまど」を連想させる、あまりスマートとは言えないものだ。

(別に、名物「かまど」がダサイと言っているわけぢゃないからね)

クレートという名前も、最初はマッククレートとかアップルクレートなどと、絶対 Apple から苦情出るよなあという名前だったが、案の定文句が出たのだろう。いつのまにか、ただのクレートという名称に変わっていた。

もっと人気があったのは、ジャスミンである。

こちらは全面鉄板なのだが、ドライブのハイトぎりぎりの高さでしかない、当時としては薄型で、クレートよりははるかにスマートな筐体である。

少し青味がかかったグレーの塗装に、その名のとおりジャスミンの花のロゴマークがあしらわれたデザインも、人気に一役かっていたのだろう。

どちらもパチもの代表のようなもので、出始めは似たような価格だったのだが、アップル純正品不在の市場においては、その人気のせいか末期ではジャスミンは高級品のように扱われだした。50MB~130MBの時代で、価格も50万円以上だったように思う。

しかし、故障も多く内蔵ドライブも初期のシーゲイトやクアンタムではなく、ローダイムとか、3.5inch になってからのコナーなど、いまでもその名前を聞くと復旧作業で徹夜した忌まわしい記憶が蘇る。

復旧作業といっても、中にはハンマーでぶん殴って固着したヘッドやスピンドルを無理矢理回すという、とてもユーザにはお見せできない過激なプロセスも存在する。

その後、筐体はよりスマートなプラスチック製に変わりはしたものの、輸入品の悲しさ、国産のヤノ電器製品あたりに食われがちで、ほどなく姿を消したように記憶している。

いずれも、SCSI インターフェイス全盛の時代で、接続にも今では考えられないゴツいケーブルとターミネータなどという終端抵抗が必要で、アドレスまで割り振ってやらないとまともに動作しない。

仕事とはいえ、毎日そんなものに囲まれてすごしていたその頃でさえ、こんなもの一般人には売れんよなあ、と思っていたぐらいやっかいなモノである。

それでも、日本市場ではキヤノン販売など、エンドユーザからは高価格政策の主犯のように言われる(そのとおりなんだが)商社系の会社と、そんなサードパーティに支えられたおかげで、一定の市場を確保していた Apple である。


90年代の Apple は、その製品の輝きと傲慢さにも陰りが見えだした会社である。
(とりあえず、売れればなんでもよかろうという、形振りかまわなさがいっそ清々しい)

商社系の代理店と、ある意味利害の一致した政策であったこの当時の Apple は、国内の一般ユーザが抱くそのイメージとは裏腹に、業務用途の製品に比重をおいていたように思う。

実際、少なくとも当時の国内にはアップルがエンドユーザに対して直接行えるサポートなどなにもなく、当然そんな窓口も用意されていない。あくまでも、代理店経由で販売店を通じてのサポートでしかない。

最近と大きく異なるのは、企業としての Apple は製造メーカという立場以上にはユーザには見えない存在であり、パソコンショップがユーザとのインターフェイスを担うのが当たり前、という認識が浸透していた。

インターネットも無く、情報は家にじっとしていては集まらない、足で集める時代だから、OS のアップデートなど運良くパチモノのフロッピーにありつけた者だけがあやかれる。

ソフトウェアに金をかけられるのは、一部の良識あるお金持ちだけで大半のマニアはハードウェアに全力投球、パブドメ頼りである。

ま、どこまでがパブドメなのかというか境界も曖昧で、全ての情報が希薄でゆっくりとしか伝わらない時代でもあった。

Apple から直接ユーザに伝わるメッセージもなく、にわかに増えてきたマッキントシュ専門誌が、その代役を勤めていたように思う。

結果的に、エンドユーザには傲慢だが、代理店である商社には腰が低いというイメージにつながるわけだが、この当時はパーソナル用途よりビジネス用途の方が、金額ベースではるかに多く売れていたので、いたしかたない時期でもある。

おかげで Apple 、北米での売上げがNo.1になったことだってある。(たしか)

当然、発表される製品の数だけは、半端ぢゃない点数におよぶが、いずれにも心は踊らない。

ザックリ分けてビジネス用では、

・Macintosh IIfx (1990)

・Macintosh IIsi (1990)
・Macintosh Quadra 700 (1991)
・Macintosh IIvi (1992)
・Macintosh IIvx (1992)
・Macintosh Centris Series (1993)
・Macintosh Quadra 800-840AV (1993)
・Macintosh Quadra 900-950 (1991-92)
・Power Macintosh 6000 Series (1994-)
・Power Macintosh 7000 Series (1994-)
・Power Macintosh 8100-9500 (1994-1997)

などなど。

筐体デザインも、1992年の Quadra 950 を最後に、大半は申し訳程度フロントパネルにプラ版を貼付けただけの、鉄板ボディになってしまう。

また、Power Macintosh 6000 Series のように、一部天版までプラな物もあった。が、内部にはまるでバラシを敢行する者の手を切るためとしか思えない鋭利な鉄板プレートがあちこちに仕掛けてあり、増設の際には血を見ることが多くなった時期でもある。

また、ホームユースでは、一連の Macintosh LC(1992-1995)シリーズや Performa(1992-1997)シリーズなど、多数あるが高価なビジネスモデルに比べてその性能たるやお笑い草にしかならないような、それでも決してリーズナブルとは言えないモデルを綿々と作り続けていた時代である。

そして、人気の高かった SE、SE/30 の後継として発表された Macintosh Classic シリーズを最後に、コンパクトマック、延いてはスティーブのビジョンも消えかけていく。

(個人的には、カラクラは計算に入っていない、入れたくないな)

デザイン的には、Classic や Classic II、 LC475 あたりには一抹の魅力を感じたことは否めないが、そのシリーズのデザインを継承した後継モデルが発表されるわけでもなく、一体型のPerforma シリーズへと、その名前だけが継承されてゆく。

Macintosh LC 500 シリーズの金魚鉢のようなモニタは、それを売っている立場にありながら、納品の度に「こんなもん、買うなヨナ~」と、心の中の呟きを思い出せる。

そのデザインは一体型とはいいながら、元々別体の物が溶けてくっついてしまい、不本意ながら結果的に一体化してしまいました的にしか見えない、ゾンビチックな不気味さを醸し出している。

わざわざ、コストをかけて一体形成にする意味はあるのか甚だ疑問であり、シンプルの対局にあるデザインになり果てていた。だが、その Paforma シリーズも、豊富なバンドルソフトウェアが効を奏して、一般の受けは悪くなかったのが、せめてもの救いである。

ユーザを盗っ人にしない為の、Apple の配慮であったと認識しているが、このあたりは日本法人の努力もまんざらではなかったのかもしれない。

しかし、凋落が止まらないデザインに関して、決定打は Power Macintosh 4400 であろう。

少し前から使われ始めた鉄板の折り曲げ筐体は脆弱この上なく、ハードディスクなんぞはまるで邪魔者のように、縦に貼り付けたようなレイアウトである。

これではまるで DOS/V 互換機であり、これほど落胆させられたモデルもない。 こんなモノに、アップルマークをつけるな!

心の奥に秘めた呟きが、おもわず叫び声になる。

このあたりのモデルをリアルタイムに目にしたものにとっては、PowerMac G5 やその後の Mac Pro の筐体が、如何に美しく映ることか。

昔なじみと、アップルの歴代どのモデルが酷かったかという、下世話な話題で盛り上がることある。

この頃の機種から、マックユーザになった人たちにはたいへん申し訳ないが、4400 は Macintosh IIsi や IIvi と並んで、いつも話題の常連である。

その他、周辺機器においても、プリンタやモニタシリーズ、果ては先走りのデジカメ、ボーズが絡んでいる割には酷い音質の純正スピーカー、ウェブカメラの先駆けやネットワーク機器など、数え上げればキリが無いほどの製品が、アップル純正として市場に送り出され、いずれもさほど称賛をあびることもなく、消えていった。

皮肉にも、当時勤務していた会社の業績がピークを迎えるのもこの時期であり、心のどこかには「ま、いっか」と、考えていたことも事実である。(または、もういいか、である)

Apple 初の、ノート型が発表されるのも90年代である。

(Macintosh Portable (1989) は、この際計算に入れないでね)

PowerBook シリーズも、デザインポリシーがしっかりしていた100番台から以降は迷走を続け、忘れかけていた夢を見せてくれるはずのニュートンシリーズは、国内で正式に販売されることはついになかった。

そうして、世紀末に向かってどんどん酷くなる Apple は、まるで恐竜の断末魔のようで、それを聞きながら何故か冷静に見つめている自分が、不思議に思えた。

我が身の生活を振り返れば一蓮托生の立場であり、氷河期が来て恐竜が絶滅すれば、自分自身も生きてはいけない。それなのに、心のどこかで「え~い、いっそ潰れてしまえ」と、考えていた自分が恐い。

その、もやもやとした鬱憤を晴らしてくれるのは、1997年の Next Software, Inc. の買収、その後のスティーブ・ジョブズの復帰である。

具体的な確証があったわけでもないのに、なぜか絶対に良くなるはずだと確信できた瞬間である。

もちろん、そのためには甚大な被害も予想されるのだが、そんな視点は忘れてしまうほどの、重要な製品がその後に発表される。

1998年、iMac の発表とともにマックマスターズという名の元、商社系からの仕入れに頼っていた販売店グループは事実上消滅し、Apple は見事に復活、自分自身の生活基盤は失われ、奈落の底に落ちてゆくのである…、笑いながら。


と、まあその後は、iMac シリーズ、iPod シリーズの成功、iPhone、iPad と快進撃が続くわけであるが、この間一貫して、Apple は傲慢で、タカビーで、上から目線で、エラそうなことには、全く変わりがない。(ん?全部おんなじことか)


MacWorld Expo 2000 における接近遭遇(ほらね、エラそうでしょ?)

スティーブの采配により、すべてが良くなったと言うつもりもないが、少なくともその製品を見る限り、以前と比べりゃ随分とマシになった気がする。また、会社規模は大きくなっても、創業当時と変わらないナマちゃんな部分も持ち合わせている、希少な大企業だとも思う。

しかし、そのイメージには、見る者によって大きく異なる。

ファッショナブルな一面も事実だろうし、アップル製品を持っているだけでお洒落な気分になる人がいるなら、それも事実だ。

いやいや、あんなにうさんくさい会社はねえぞ、というのも事実なら、我田引水、自分勝手で向こう見ず、会社規模だけ大きくなっても良識ある企業とは言えんだろう、という見方も出来る。

だが、ひとつ確実に言えることは、そのブランドイメージとは、ユーザにとって実態のない企業イメージでしかなく、実際に購入した製品を通じて感じるモノではない、ということだ。

コマーシャルで、いくら良い企業イメージを流布しようとも、製品そのものがユーザの琴線に触れて、金銭を投じようという気分にさせてくれなければ、一過性のものに終わるだろうし、逆になんでもツボに嵌まれば、多少の波があっても気にならないもので、あばたもエクボである。

したがって、最近アップル製品も安くなったね~、デザインも良いし使い勝手もいいよね~、という意見があることも、また事実だ。

そのコマーシャルでさえ、センスと言う点においては日本法人が足を引っ張っている気がしてならない。

少し前に終了した、「Get a Mac」に対する「マック君とパソコン君」しかり、今現在行われている、iPhone のコマーシャルのアットホームなシリーズにおいても、なにか違和感を覚えざるを得ない。

「Get a Mac」シリーズにおいて日本法人が発揮したオリジナリティが裏目に出たので、今回は極力本国版のイメージに忠実に真似たつもりだろうが、劣化コピーの域を出ていない。現状では、残念ながらデキのわるいテレビドラマを見ているような、気恥ずかしさを感じてしまう。

あとから、言うのは楽なことは承知しているが、パターンとしては全く逆をやっていると思う。

「Get a Mac」こそ、そのオリジナルの持つウィットを忠実に伝えることができるプロの声優による吹替えか、いっそ字幕版でもよかったろうし、今回のドラマ仕立てこそ日本独自のオリジナリティを発揮して著名な監督を起用するなど、完成度を高めるべきである。

イメージにこだわるなら、半端なことをやっていては意味がない。

ま、それでも Apple に対してどんなイメージを描くかはユーザの勝手だが、常に完璧なものばかりを供給できる魔術師ではない。煙が出りゃあ、火を吹くことだってあるだろうし、アタリが悪けりゃコモドールもコケる…、ん?ちがうな、アタリが悪けりゃハズレも食らう、だな。

また、少なくとも国内のお役所に対しては、あまり評判の良い会社ではないだろう。

ここ最近の事例を見るまでもなく、世間的にもナマイキな会社であることは、すでに認知されてきている。(昔を知る者にとっては今更な感もあるが、…)

ただ、そんなお役所や世間に対して評判の良い会社だって、ユーザにとって実際はどうなんだろう。

広報発表文に謝罪の言葉が鏤めてありさえすれば、記者会見でその場にいる記者団にお偉いさんが頭を下げれば、また、それを見せしめのように、世間の目に触れるメディアに取り上げられれば、ユーザは満足するのだろうか?


表向きの Apple は、確かに昔から変わっていない。

公式見解では体裁ばかりを気にして、言い訳がましく、責任転嫁も厭わない、往生際の悪いことこの上ない会社である。

企業規模が大きくなっても、ただ素直にゴメンナサイが言えない、複雑な大人の事情もあるのが、今の Apple だ。

そんな Apple でも、現実のユーザサポートでは、意外な結末で拍子抜けすることだってある。

かつての Apple と大きく違うのは、実際のエンドユーザに対しては意外と腰が低い、というのが最近の Apple に対する認識である。(あくまでも昔に比べての、個人的な見解であるけどね)

ま、サポセンの担当者によっては、火でも吹かない限りのらりくらりの対応は現在も散見されるが、逆に火まで吹かなくとも煙さえ出りゃ、コッチのモノという判りやすい対応でもある。

もちろん、人命にかかわるようなトラブルなどはあってはならないことだと認識しているが、実際問題そこまでの危機的状況はそう多くないだろうことを前提としているので、誤解のなきようご理解頂きたい。

保証期間が過ぎてから不調になった製品なんぞは、いっそ火でも吹かねえかなあ…と、日々お気楽に考えている輩の書く文章なんだから、いちいち目くじらを立てることでもないだろう。

昨今、サポートに対する不満として、表に出てくるのは当事者以外の視点で語られるモノが多すぎるような気がするのだが、いちいちアップルユーザが、世間一般のイメージ作りに付き合う必要はない。

自分自身がサポートを受ける立場でもないのに、あれこれ一般論を展開して良識人ぶっているジャーナリスト(またはモドキ)や、ネガキャンが目的の工作員のデカイ声に目や耳を傾けるよりは、直にアップルと話し、問詰めてみればよい。

よっしゃわかった、で、ぶっちゃけオレの場合はどうしてくれるの?…と。

具体的な例を挙げるのはあえて差し控えるが、問題は当事者であるユーザに対していかに対処するかであり、一般向けにどんなかっこいい公式ポーズを付けても、個別のユーザが満足できなければ、意味はない。

世間に対する公式見解などいくら飾ったところで、せいぜいゴムバンドレベルだ。それでも実際のユーザを大切にするなら、具体的な解決策も無しにリコールされるよりは、即効性があるだけにはるかにマシな対応のようにも思う。

Apple が、アンテナラボまで公開したのは、決して手抜きをしていないことを世間一般にではなく、iPhone ユーザに対して公開することが主目的であり、ついでにアンテナ問題が一筋縄ではいかないことを、一般にも知らしめる手段として採ったに過ぎない。

事実、アンテナ問題の難しさについては、その後のライバルメーカの反論によく表れていると思う。

ただ、そのタイミングや内容において、過分に言い分けがましく責任転嫁のような誤解を与えたことは否めないが、それをことさら大げさにとり挙げ、技術的な確証もなく無責任にもリコールの実施を主張する族がなんと多いことか。

もちろん、解決済みの問題なら即リコールもあり得るだろう。

だが、デザインという、Apple が何よりも重視し、またそれを由とするユーザが少なからずいるとなれば、わずかな感度アップと引き換えに、現状を変えてまでされるリコールなど全く有り難くないし、個人的には応じるつもりもない。

そのデザインに関しては、たとえどんな変更も、今の iPhone 4 には加えて欲しくないのだ。



モノが溢れ返っている今の世の中、金さえ出せるなら Apple がこしらえる程度の製品なんぞは、同盗品もとい同等品は無数に有り、選択肢は無限に在るはずだ。

Mac が気に入らなけりゃ、Windows 互換機があるぢゃないか。

それも、相当数の各社製がある。

iPhone が気に入らなけりゃ、ガラケーがあるぢゃないか。

それも、ドコモ製だけでなく各社製のガラケーががある。

iPod が気に入らなけりゃ、ウォークマンがあるぢゃないか。

それも、ソニー製だけでなく各社製のウォークマンがある。

iPad が気に入らなけりゃ、

…もうすぐ、各社製の iPad モドキが出てくる、たぶん。

だから、これは気に入らない、ツボに嵌まらないと感じたユーザや、こんなナマイキな会社の製品はいくらデキは良くても使う気にはなれない、と判断した人たちは四の五の言わずに、アップル以外の、別の選択肢を早めに見つけた方が良い。

その方がたぶん、みんな幸せな気分になれると思うな。

… ということで、ひとつよろしく。

2010年08月某日 Hexagon/Okayama, Japan