Hexagon Technocrat 更新情報:2012年下半期

 
 

2012年12月

[2012.12.14] ユーザ・インターフェイス

前回の iTunes 11 に対する不満は、ユーザ・インターフェイスに関する考え方の違いが根底にあるように思う。

一つには機能と、もう一方にはデザインがあるように思われがちだが、この両者には密接な関連があり、実は同じものであることが多い。

OS X のウィンドウ左上にある信号のような三つのボタン、ファインダを筆頭に各アプリケーションのウィンドウにも必ず存在する。タイトルバーに相当する位置に横並びがお約束だが、唯一の例外が iTunes の前バージョンでミニプレーヤを選択した時に限り、縦並びになる。アップル自ら犯した掟破りであり、後にも先にも例がない。

で、今回はミニプレーヤにおいてはウィンドウにあらずと勝手なルールをでっち上げたのだろう。縦にも横にも、三つのボタンを配置すること自体を止めてしまった。

ま、それさえアップルの勝手なんだから別に論うつもりも無いのだが、タイトルバーまで無くしたのなら、いっそ iTunes は特別なウィンドウということで、旧来のアクアインターフェイスを止めて、専用のデザインを興せば良いと思う。どうせ、ファインダ上でのファイルの並び方も異なることに対して問題がないと考えているのなら、似て非なるものより混乱は少ないだろう。

仕事柄、いろいろなタイプのユーザをサポートすることが多いが、Macintosh を業務で使用しているユーザには、新しいことを好まない人々も少なくない。

古くからの友人である某商店主などは、頑なに一度覚えた操作法を変えようとはしない。基本的に、ショートカットは使わない。コマンドは、メニューからの選択一辺倒であり、メニューにない機能は無いモノとして片づけられる。目に見えるものが全てであり、見えないものは信用しない、使わない、という点においては徹底している。

新しい機能など迷惑だと言わんばかりで、自分の用途にとって不必要なバージョンアップは、とことん毛嫌いされる。安定こそが命であり、リスクを伴うような多機能化などもっての外である。

業務使用であるからといって、作業効率などは優先順位として必ずしも高いわけではない。たいていは、自身の理解の範囲を超えたモノに関して興味を示すことはなく、言い換えれば身の丈に合った使用法を好み、多少の不便は気合いと根性で乗り切ってしまう強者である。

さしずめ回転寿司なら回っていないモノは食わない、特別な注文などしない。と、まるでレストランの優良顧客のように聞こえるかもしれないが、細かいことには結構注文も多い割に、経営者としては当然のことながら経費に関しては渋チンで、ここだけの話サポート業務にとっては、必ずしも上客とは言いがたい。

かれこれ、十年以上も Macintosh を使用しているわけだから決して初心者ではないが、かといってオッタッキーなパワーユーザでもない。ただ、同じ傾向のユーザでも細かい部分では多少異なり、独自の使用法を編出して(というほど凝ったものでもないのだが)自分なりの効率を保っている。

極論すれば、ユーザの数だけ使用法はあり、同じ機能でも複数のアプローチが可能な柔軟なコマンド体系こそが Mac OS の美点でもあった。ユーザが一度習得した経験から類推して操作をするという、ある意味手探りの操作でさえそれなりに使えることが、日本語で書かれた参考書も少ない黎明期のマックユーザにとって、一助になっていたことは間違いない。

そのような意味では、直感的に把握できるインターフェイスを実現することは、容易ではないが重要である。彼らにとって、シンプルであることは歓迎されて然るべきモノであるが、それは決して存在する機能を隠されることではない。

前述の機能とデザイン、ただシンプルを以て良しとするなら、多機能はその対局にあるものかもしれない。が、実際そう単純なモノでも無い。機能美という言葉があるように、要するに見せ方次第で意外と両立するのである。

卑近な例を挙げれば、オーディオアンプや自動車のデザインに見受けられる。

アンプの場合は、使用頻度の高いヴォリュームコントロールを大きめにして、その他の機能はフタをして隠してしまうというもの。一歩間違うと、大変チープなモノに成り下がってしまう恐れもあり、あまり高級品では採用されないことが多い。

逆に機能を隠すことなく全面に並べても、良いデザイン(個人的に気に入っているだけだが)も存在する。一例を挙げるなら、もう一方のマッキン、McIntosh のコントロールアンプに見られるような、機能美である。

もちろん好き嫌いはあるだろうが、コントロールするという本来の機能に対して真っ向からアプローチした結果、数多くのスイッチ類をシンメトリーに配置することにより、機能を隠すことなくかつ美しさを損なわず、といった難題をクリアしていると思う。

また、対照的にパワーアンプでは、メータを前面に大きく配置し、最小限のスイッチ類でデザインされたそれは、(当たり前だが)並べても全く違和感のない整合性を実現している。

別の例では、Mark Levinson のプリに見られるような、シンプルな美しさである。必ずしもボタンやスイッチ類が少ないわけでもないのだが、全くごちゃごちゃした感じはなくシンプルに見えるのはなぜだろう。

往年の LNP-2L、最近の(でもないけど) No.26L などにも共通しているのは、安物にありがちな回転するツマミ、縦横のスライドスイッチ、上下動のタンブラースイッチなど操作の異なる種類のスイッチ類を混在させない、というポリシーにあると思う。ま、ここのパワーアンプはブラックパネル一色のプリに比べると結構ケバかったりするんだが、少なくともかつてのプリのデザインは良かったと思うな。

McIntosh と Mark Levinson、 デザインポリシーの全く異なる両者に共通したものといえば、シンメトリーなデザインと最少限の種類で構成されたスイッチ類、統一された表面材質も含めたカラーあたりではあるまいか。(と、おいそれとは手を出しにくい価格、という点でも共通するな。かつては、一台でこいつらを軽く上回る価格の Quadra 950 を販売したこともあるが、ある意味良い時代ではあった。余談である。)

単に数を減らせば、シンプルなデザインになるのは当たり前で、機能上必要な数を網羅してもなおシンプル(に見える)なデザインは存在する。ただ、隠せばいいってもんぢゃないという例でもある。

一方、スマートに隠す方の例として、かつてブラウン管時代のソニープロフィールモニタがある。初代の KX-27HF1 は、オーディオアンプにありがちなフタで隠すというある意味安易な方法であった。しかし、二代目以降の KX-27HV1/KX-29HV3 などでは、ボタン自体を自照式にして、普段はほぼ全ての機能を見えなくし、必要な時だけ表示するというもの。既にリモコン操作が当たり前の、その時代のテクノロジーがあってこそ実現できたデザインである。

そのおかげで、高機能でありながら非常にシンプルでなかなかカッコいいデザインに仕上げられており、我が家のテレビは一時こればっかりだった時期もあるぐらいだ。スピーカはおろかチューナさえも内蔵しておらず、たしか別売りで10万円近い値段だったように記憶している。もちろん本体はその三倍ぐらいだったような、…やれ恐ろしや。これも余談である。

ま、なんでも隠しゃいいってもんでもない例は、最近のキヤノンの複合機を見ればわかる。当然あって然るべき機能まで隠してしまうと却って分かりにくく、使い難いだけのデザイン倒れの好例といえよう。(フタで隠すより、自照式にした方がコスト削減になることが主たる理由である、というところまで見え見えなのも、時代のテクノロジーに依るものである)

自動車の場合は、最近めっきりお目にかからなくなってしまったが、リトラクタブルヘッドライトのような、本来有るべきものがその場所に無いことを逆手にとった、隠すデザインの一手法である。

その歴史は古く、1930年代後半まで遡ることができるが、同年代のご同輩にはやはりコルヴェットを筆頭に60年代アメ車だろう。幼少時には強く憧れたもので、しばらくは川津祐介の乗るあの車はマジで空も飛べると信じていたぐらいだ。(コルヴェット自体、当時の国産車のデザインと比べらたら自動車というより、宇宙船に近かったように思う)

ただ、このあたりになると、その機能自体は既に単なる機能では無くデザインその物になっていたし、リトラクタブルにする理由などどうでも良かったので、あまり良い例とは言えないかもしれない。空力の観点から、全面投影面積を少なくするとか、保安基準の制限からなんとかボンネットをより低くするためなど、御託を並べればは数あれど、要するにカッコイイからであり、ある意味デザインの目指す究極の到達地点と言えなくもない。(ガキの頃には、リンカーン・コンチネンタルや、オールズモービル・トロネードでさえ憧れの対象であった)

が、その後国産車に不便を承知で同形式のヘッドライト装備したモノは、概ねライトをアップした状態のマヌケ面ばかりが目立ち、あまりトキメクものは無かったことから、リトラクタブルヘッドライトなら何でも良いというワケでも無い。2灯式の場合はだいたいカエル顔になるのだが、911 のようなカッコ良さは皆無である。

したがって、機能を犠牲にしたデザインなどさほど価値は無く、その上に格好が良くないとなれば本末転倒も甚だしい、というものだ。

iTunes に話を戻せば、ミニプレーヤにおけるボタンの表示/非表示は、より小さな面積で機能を犠牲にしないという点では、それなりに評価できるものである。というか、ポインタを持っていった時のみ再生ボタン等を表示し、通常は再生中のアルバム情報を表示するというアプローチは、優れたもので理にかなっていると言える。

しかし、対するフルサイズウィンドウ時の iTunes のデザインはイマイチ・イマニ・イマサンである。

ミニプレーヤ同様、検索ウィンドウなど虫眼鏡アイコンで十分だと思うし、フルサイズへ復帰するボタン(小さ過ぎて、これまた押し辛い)は左端にあるにもかかわらず、ミニプレーヤへの切替えボタンは真逆に最右端に配置される。

フルスクリーンへの切替えボタンと同様に、なぜあのような半端な位置に並べる意味はあるのか不明だが、双方とも使い難いだけでなく矛盾に満ちたデザインと言わざるを得ない。(タイトルバーを無くしたいのなら、そこにあったものの移転先ぐらい考えとけよな)

中央上部のさほど広くも無い領域に、無理やりアルバムアートワークを表示する(で、サイドバーから削除する)やり方にも疑問が残る。もちろん、そのアイコンサイズのアートワークをクリックすればフルサイズで表示されるのだが、再生中の楽曲に限られる。

再生だけでは無く編集機能も使用している iTunes としては、選択中のアルバムアートの確認ができないという点で、使い勝手が大きく犠牲になっている。

また、最近の OS X のバージョンで推奨されるフルスクリーン表示機能との関連性から、マルチウィンドウ化を避けてきた経緯があるにもかかわらず、前述のアルバムアートワークのフルサイズ表示では、フルスクリーンモード時でさえオーバーラップで表示されてしまう。

ビデオ再生時のウィンドウも同様で、フルスクリーンモードで不用意に iTunes の背景をクリックしてしまうと、再生画面は臆面も無くバックグラウンドへ隠れてしまう。

追記:ビデオ再生時のウィンドウは、従来のバージョンでも環境設定内の詳細にある「〜常に手前に表示」を選択することで、バックグラウンドへ隠れてしまうことは回避できた。が、本来常に手前に表示がデフォルトであるべきだし、そのような設定項目自体が必要ないはずだ。iTunes ウィンドウ内での表示などの選択は、メニュー項目から無くなり、再生中に右クリしないとできない。

以前は、表示形式にウィンドウ内も選択できたのだが、新しいバージョンでは別ウィンドウのみの一択しかない。フルスクリーンモードとの兼ね合いを考慮すれば、ウィンドウ内表示の方が妥当だと思うが、あらゆる点においてインターフェイスの基本方針がブレまくりなのも気になる。

いったいアップルとしては、何をどうしたいんだと…。

今回のバージョンアップにより、カラムブラウザの表示機能に掛けられていた制限は、ある程度緩和されたようだが、そもそもなんでそんな意味のない制限を掛ける必要があったのか、理解に苦しむ。

リリースが一ヶ月近く遅れたのも、実装機能の整合性を調整することが理由として考えられるが、基本的なデザインを見るにつけ過渡期の製品にありがちなやっつけ仕事の匂いがあちこちに漂う、今回の iTunes 11。

ちなみに、アクアインターフェイスこそ、スコット・フォーストールの置き土産であり、この呪縛から逃れようとするなら、根底からの改革が必要になるだろう。

まさか、この矛盾に満ちたデザインが、サー・ジョニーのなせる技などと思いたくもないが、デザイン面で腕を振るうなら今こそ、その時であると言いたい。

わお〜、またもや連チャンだぜい。

…ということで、今年いっぱいヒトツよろしく。

2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.12.14] 不機嫌な沈黙

iTunes 11 アップデート ver. 11.01 (12)

標題は、TidBITS 日本語版最新号からのパチリであるが、最近のアップル製品にユーザが感じている鬱屈感を上手く表している言葉だと思う。

ユーザインターフェイスに関して、ウェブブラウザなどの場合は、主たるは表示されるコンテンツでありその機能は脇役であるので、Safari などのボタンなどがモノクロなのは当然であるとしても、ジュークボックスたる iTunes では主役の音楽自体、主にユーザの聴覚に訴えるのだから、視覚を担当するプレーヤがあまり地味では、面白味がない。

したがって、かつての MP3 黎明期に多数存在したミュージックプレーヤソフトにありがちな、安物のカーステレオのようなケバくチャラい外観はご免被りたいが、今回のような作品としてのアルバムを見せる(魅せる)アップデートに関しては、個人的には許容範囲でありなにも問題はないと思う。

が、細かく見ればそう単純に喜んでもいられない事実に気がつく。

以下、都合により別ページへ...つづく

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.12.07] やっぱ、時計はスイスだ!

アップルがパチリ切れていなかった、SBB の公式時計について、その動作を見事なまでに再現した、iOS アプリがある。

SwissRailwayClock 2.0.1(無料)というものだが、このグラフィックスには感激する。

起動時には、必ず全ての針が重なった位置から現在時刻に配置されたり、縦横を切り替える時にインデックスはそのまんまで、針のみが回転するギミックも面白い。また、ハンズの微妙なテーパ形状やインデックスにちゃんと届いている秒針、夜の時間帯になると変わる照明の色合いなども、なかなか味わい深い。

極め付けは、オリジナルと同様に秒針が毎分12時の位置にきた時には一秒少々止り、分針がおもむろに一分進んでから再度秒を刻み始めるのだが、その時の止まり方が堂に入っている。それこそ、カクンと音が聞こえてきそうなほど、秒針も長針も震えるのである。

もちろん、その分遅れが発生するので、再び動き出してから都合約58秒程度で一周するという、まったく細かいことは気にしない大らかな仕様である。

で、いろいろ調べてみると、この掟破りな仕様にはそれなりの深〜いワケがあるらしい。

スイス国鉄のステーションクロックが誕生した1940年代には、その当時の機械的な精度から、各駅に設置している時計に微妙なズレが発生することが避けられなかった。

そのズレを修正するために、親時計を設置して各駅の子時計を制御し、一元管理する方法が採られた。各駅の子時計は秒針が約58.5秒かけて1周し、0秒の位置で一端停止。その後、親時計からの制御信号を受けて各駅の時計が一斉にまた時を刻み始めるという、全ての時計を正確に合わそうとした、聞くも語るも涙の苦労話があるらしい。

ま、何処の国の列車も発車時刻が、×時×分59秒なんてのはないだろうし(1.5秒ほど早く発車することになるけどね)、だれも正確な時計など持ち合わせていない時代だから、これはこれで正解なんだろう、と納得させられてしまう。かつては、銀行強盗だって犯行前には「時計を合わせよう」が合言葉になっていたのだが、最近はあまり聞かれなくなった。

Stop to Go と呼ばれるトリッキーな動作にも、そんな背景があったことを知れば、あまり好みのデザインではないと思っていたモノにさえ、何となく愛着を感じるから不思議なものだ。(欲を言えば、中心軸の描写が欲しいけど…)

アップルも、どうせパチるならここまでやればリスペクトと言えただろうに…。と、最近のアップルに感じる残念感ばかりが気になる、今日この頃。

表面だけを真似た純正クロックと比較すれば、機能上必要ないからといって余計なものを取払ってしまうと、いかにつまらないモノになってしまうかを示す好例といえる。

おおっと、今月も初っぱなから二本立てだぜい。

2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan

[2012.12.07] iTunes 11

iTunes 11 ver. 11.0 (163)

まいど、恒例になっている iTunes の目が点になる仕様変更、今回も各所で悲鳴が上がっているようだ。

例によって、またもや背景色は白に戻され、暗い色の選択肢は無くなった。あとから苦情が出ることが分かっていながら、なんでアップルは懲りもせずおんなじことばかり繰り返すんだろう。

デフォルトでサイドバーを隠してみたり、プレイリストを選択した場合にはカラムブラウザを編集できないなど、多くの矛盾点が存在する。また、アルバムアートの表示サイズやソート順序ぐらい、ユーザに選ばせてもバチはあたるまい。

iTunes 9 当時に物議を醸した、ミニプレーヤへの切替え機能もいかにも使いにくそうな右上の隅っこに、フルスクリーンモードとならべて不細工に設置したボタンでお茶を濁す始末である。最近の大型画面のマックにおいては、もともと表示モード切替えボタンがあった検索窓の周りにはスペースが十分にあるんだから、もっと分かりやすく使いやすいボタンを配置すりゃあいいだろうが、と思う。

いったい、何を考えてユーザインターフェイスをデザインしているのか、全く理解できない。

ちなみに、サイドバーはファインダと同様にオプコマ+Sで表示/非表示できるのでさほど困るわけでもないが、新しい機能を見せびらかしたいがために、ユーザの選択肢を奪ってまで、押しつけがましくも使用法を制限するやりかたには、まいど腹が立つ。

ま、メジャーアップデートの最初のバージョンだから、ユーザの苦情の多い順に改善されるものと考えているが、開発陣にはもう少し学習機能を働かせてもらいたいものだ。少なくとも現バージョン(11.0 163)では、本来できるはずのことができないことが多い。

ただ、最近のワイド画面に則したエリアの有効利用という点においては、多少改善された部分も有り、いずれ各方面から裏技的なモノも含めて善後策が披露されるものと予想されるので、気長に構えるしかないのだろう。

…ということで、今月もヒトツよろしく。

2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan


2012年11月

[2012.11.14] やっぱ、時計はスイス?

アップルがパチったとされる、スイス連邦鉄道(SBB)の時計。個人的には、あまり好みのデザインではない。

客観的に見ても、真っ赤な団子が秒針の先っぽにぶらさがっているようなデザインはいただけない。

なんというか、こうバランスが悪いというかキモチワルイというか、針って呼ぶぐらいなんだから先っぽはトンガっていて欲しい。 指示側が逆ならまだしも、せっかく文字盤に書き込まれたインデックスの意味がないだろう。

以前、DVD レンタル店で借りてきたディスクには、必ずと言っていいほどその店の管理番号が書かれたシールが貼ってあった。店舗によっては、ディスクの外周に近い所に、無造作に貼り付けてあることがある。普通に DVD プレーヤで再生する分には、580〜1,400rpm 程度なのでさほど問題は無いのだが、Mac の内蔵ドライブなどでは、エラーになることが多々ある。

コンピュータ用の光学ドライブの回転数は 5,000〜10,000rpm と、下手するとハードディスク並の高速回転になるので、僅かな偏心でさえスピンドルには大きな負担が掛かり、最悪の場合故障に繋がる。最初はリッピング防止の為に、ワザとやっているのかとも思ったが、やる奴はシールを剥がしてでもやるので、あまり防止効果は期待できない。その上、善良な一般客にとっては、嫌がらせにしかなっていない。

おそらく、バイト君が何も考えずに適当に貼った結果だろうが、この手の作業に対してもある程度メカ的な知識があれば、なるべく影響の少ない内周寄りに貼るとか、同じようなシールを反対側にも貼るなどの工夫があって然るべきである。残念ながら、そんなものは一度もお目にかかったことはない。

古来より時計の針というのは、重量バランスを取る意味でオモリとなるべく、指示する側の反対には何らかの飾り物をあしらうことは多い。針の重心が回転軸付近に一致して、メカニズムに余計な負担を掛けないように設計するのが、言わばお約束のようなものである。

暗いところでも時間が分かるように、夜光塗料などを塗布されたものには、指針側にあえてインデックスを持たせた形状のものはあるが、特に秒針に関して反対側に全くバランスを取ろうとしたカケラも見えない針も珍しい。いっそ中心軸から反対側へのオーバーハングをゼロにすれば、それはそれでアンバランスの妙と言えなくもないが、その点ではツッコミが足りない中途半端なデザインだと思う。

また、計測機器などの場合、指針とインデックスは重なり合うことが必修とされるらしいが、時計でコレをやられるとなんとなくダサイ。テスターぢゃねえんだから、触れるか触れないかギリギリ一致する程度が最も美しいバランスだと思うが、スイス国鉄の時計はあまりにも両者が離れすぎて、マヌケであると言わざるを得ない。どうせパチるなら、相手を選べと言いたい。(思いっきり、個人的見解)

訂正:秒針が届いていないのは、アップルの半端な模倣のせいでした。ここに訂正し、関係各位には失礼をお詫びいたします。

加えて、その針の動作も奇抜である。秒針が12時の位置で一瞬(というには、あまりにも長い時間)止まり、おもむろに長針が一分進んだ後に、やおら動き出すというというものだ。かつて、我が国の国鉄の駅にある時計も、正時になった瞬間に長針が分を刻む動きをしていたように記憶する。ただ、あれは秒針の無い2針であったので、さほども気にもならなかったが、スイス国鉄はこれを3針でやっているんだから、違和感有りまくりである。

その時点で発生する遅れを、いったいどのように取り戻しているのか、それともわざと進めておいて調整しているのだろうか、など気になりだすと夜も寝られなくなる、まことに掟破りな時計である。どうせパチるなら、そこまでやれと言いたい。(きわめて、個人的見解)

そのような点においても、たしかに特徴的なデザインではあるので、目立ち度ではナカナカのものなのだろう。アップルが無断でパチった時計として、一躍有名になったのは間違いないと思う。たぶん、モンディーン(MONDAINE)の今年の売上げは例年になく絶好調だろうし、スイス国鉄にはアップルから予想外の大金は入るで、両者とも密かに喜んでいるに違いない。

iPad の画面上にグラフィックスとして表示される時計の針は、実質質量はゼロであり、機能上何の問題があるわけでもない。たとえ、針の先に16tと表記された錘がぶら下がっていようが、ミッキーマウスの手になっていようが、勝手にしやがれである。

だが、スイス国鉄はメカニカルなアナログ時計でこのデザインを採用している訳だから、その針は質量ゼロなわけでもない。やっぱ、見た目上これってどうよという気持ちになる時計フェチも、少なからず居るのではあるまいか。

こと見た目に関しては、多種多様な個人の趣味趣向、好みがあるのだが、デザインと言うモノは視覚に訴えるバランスが重要であると思う。本来の姿を知らずしてなされたアレンジや、意味のない改変によって作り出されたゲテモノばかりが、世に溢れている。気にしない人が多いからといって、そちらが基準になるような傾向は、まことに情けない話ではある。

iOS のカレンダーに表示される数字が、バランスを崩しているように見えるにもかかわらず、全く修正する気もないような最近のアップルに、その辺を期待するのは間違いかもしれないが、数値だけを頼りに作り上げたモノは、所詮その程度でしかない。

結局は、モチーフとなったオリジナルのメカニズムを理解した上で、とことん拘り昇華された形の方が、より美しいような気がする。

スイス国鉄の時計が、けっしてゲテモノだとは思わないが、アップル製品もこのまま細部への拘りをいい加減にしていると、いずれはお勤め品の群れの中に埋もれてしまうだろう。おかげで、最近のアップル製品、数だけは良く売れるのかもしれないが、…。

しっかしまあ、あれだけ彼方此方で訴えたり訴えられたりしておきながら、なんでわざわざ盗用までする必要があったのか不可解な点が多い。また、その特徴的なデザインから、断りもなくパチりゃ訴訟になることは猿でも分かる。(単なるバカなのか?)

要するに、17億円も払うぐらいなら、オリジナルデザインを興してもよかったんぢゃあるまいか。なんなら、ウチが半値以下で請負ってあげてもいいと考えているし、その辺の事情に詳しい方(フィル・シラーあたり)に、ぜひその経緯を説明して欲しいものだ。

たかが時計、されど時計である。

時計に関して我が身を振り返れば、故障した自動巻き時計の修理代捻出に窮するあまり、激安パチモンに手を出しては痛い目を見る、今日この頃。

ある程度予想していたこととは言え、真当なお値打ち品とそれなりのお勤め品には雲泥どころではない、想像を絶する差があることを身を持って痛切に感じている。

ま、サムスンから10億ドル、HTC から2億ドルも巻上げたらしいし、アップルにとって 2,000万ドル程度の端た金は、スイス国鉄に対する寄付みたいなもんだろう。

それにしても一般的に考えて、会社に17億円もの損害を与えた取締役は、フツー只では済まんよな。ひょっとして、スコットはコイツのせいで…、まさかね。

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年11月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.11.12] 春よ来い

Mac OS 改め OS X も 2001年のファーストバージョン以来、そろそろ12年目に突入しようとしている。

以前、スティーブはOS(ソフトウェア)の寿命は10年程度であり、大きな改革によって更新がなされないと生き残れない、みたいな説を持論としていたように思う。そろそろ、賞味期限が切れてんぢゃねえのかコレ、と感じることも少なくない最近の Mac OS について。

新たな10年の入り口かと期待されたライヨンも、1年程度でその役割を終え勢い山に登ってみたものの、既に10.9の噂も聞こえて来る。次は、海に潜るのかそれとも空を飛ぶのかは与り知らぬところではあるが、OS 11 になれば何かが変わるのだろうか。

10余年前に Mac OS X を初めて見た時の、あの期待と絶望の狭間で揺れに揺れ、眩暈すら覚えたような衝撃にまたもや襲われるのだろうかと思うと、今から楽しみでもあり憂鬱でもある。

OS X 以前からの Mac ユーザでさえ、もう既に忘却の彼方かもしれないが、初期のMac OS には正式な呼び名もない、Macintosh のオマケみたいなものであった。

今では俄に信じられない話ではあるが、ユーザが新たにフォルダを作る機能さえもない。起動ディスクには、システムフォルダと共に空フォルダ(empty folder)がひとつだけあって、これを複製して使えという、まるで冗談みたいなシンプルさである。

その後、アップルからも開発者向けにリソースエディタ(ResEdit)なども配布されたこともあり、有志(マニア)によるカスタマイズ文化が形成され、安定度と引き換えに自由度は広がっていった。スタンドアローンな環境に対して、さほど違和感もなく使っていた時代であるが、初期のマックOSに感じた、狭い場所に閉じ込められたような閉塞感は希薄であった。

その主たる要因は、ネットワークによるものであろう。

もちろん、インターネットがごく当たり前のようにある、今のコンピュータを取り巻く環境とは、全く別の意味である。当時は当時なりに、電線に頼らない伝染というものがあり、パソコンショップが寄合処としての役割を果たしていた。

フロッピーディスクを携えてのショップ通い、情報交換という名のファイル交換は、形態こそ異なれど今も昔も変わりない。情報網としてのネットワークは、当時にも確かに存在していた。ただ、情報の伝搬速度は非常にゆっくりで、かつ限定的なものである。

しかし、そのようなユーザが感じるようなまったり感とは無関係に、アップルの企業としての行き詰まりの影響は、容赦なく襲いかかる。アップルが、起死回生を賭けて発表された Mac OS X の登場により、一度は手に入れた自由度もアップルによって閉じられてしまう。

さすがに以前のような、ユーザによる無茶振りなカスタマイズはなりは潜めたものの、OS 自体がバージョンを重ねるごとに機能を増すことで、パンサー以降はさほど不自由を感じることは少なくなった、という実感はあった。

コンピュータから、より広いモバイル市場を目指して開発された iPhone OS (iOS) 。イベント会場において発表された OS X を採用したという事実とは裏腹に、ファイル管理などに関する手枷足枷感など、デビュー当時の iPhone OS (iOS) に対する感想は、それこそ OS X 以前の黎明期に近いものであった。(対象ユーザ層の裾野を広げるには、必要なアプローチではあるが)

Mac OS 9 以前を使ったことのある者にとっては、OS X でさえ、ピクチャ、ムービー、ミュージックなど OS 側から保存場所を規定されること自体、大きなお世話だと感じたものだが、それさえもない iPhone OS (iOS) がよもや Mac の方に向かって逆風のごとく押し寄せてくるとは、想像もしていなかっただろう。

現状の OS X では、このような OS による分類規定自体が、既に破綻している。

iTunes が動画も扱えるようになってから、俄にそれまでの Music Folder を iTunes Media と改名したところで、所詮ムービーフォルダではなくミュージックフォルダの中にあるわけだから、無駄な足掻きにしか見えない。ましてや、iCloud の保存領域などアプリごとに分けた時点で、使い勝手を大きく阻害していることが、なぜアップルには分からないのだろう。

自分で作った原稿や報告書などを後日編集しようにも、使用したアプリを常に意識していないと開けないようでは、使いやすいとはいえない。あげくに、ファイルを管理することの権利そのもの奪い不可視化するなど、言語道断ではあるまいか。

実際、「書類」フォルダに書類を保存しているユーザは、どのくらいいるのだろう。さまざまなアプリが手前勝手なフォルダを作り散らかし、自分専用になっていない「書類」フォルダである。

アドビのアプリなどインストールしようものなら、「Adobe」と名の付くフォルダを共有フォルダやユーティリティフォルダをはじめ、ありとあらゆる場所に撒き散らす。エイリアスまで含めると、いったい幾つあるのか数える気にもならないほどで、その場所に意味があるとも思えない上に、ファイル名からしておよそ一般ユーザの目からは汚物にしか見えないものばかりである。

もちろん、思い切って捨ててしまえばスッキリするのだが、アプリからはそれなりの報復を受けるので、遠慮しているユーザは少なくない。何のために Application Support というフォルダやパッケージが存在するのか理解していない大馬鹿野郎であり、保存場所を規定するならヤツらにこそ守らせるべきである。ウンコはトイレでしろと、…余談である。

で、大抵のユーザは、書類を見えるところに置いておきたいという心理と、そのようなバカアプリが勝手にフォルダや訳の分からない書類を作らない平穏な場所、デスクトップに書類を保存するようになる。

人によっては、それこそ目がチカチカする、星の数ほどの書類やフォルダで埋め尽くされて、デスクトップピクチャさえ必要のない(あっても見えない)光景を目にすることもある。そんなユーザでも、目的のファイルを探し出すのは Spotlight よりは遥かに早く、なおかつ確実である。(人間の、環境に対する順応性の高さを垣間見る瞬間でもある)

当然のことながら、だいたい画面上の場所やアイコンの色や形で覚えているので、その場所が移動されたり、順序が変わってしまうとパニックになる。が、それもユーザの自由であろう。

もし、このような実態をアップルが知っているなら、iCloud で共有すべき保存領域はデスクトップであり、OS による余計な分類は迷惑であると、気付いても良さそうなモノだが。

ユーザが気にするのは、その書類を作成したアプリケーションの種別ではなく、内容である。動画であろうが、音声であろうが、写真であろうが、手紙であろうが全く関係ない。それが、家族や友人や仕事に関係するモノなら、すべてユーザが自分で決めた場所にまとまってあって欲しいのだ。

ぶっちゃけ、見えるところに置いておきたいという願望を突き詰めると、今そこにある、そのファイルであり、もはやその内容でもなくファイル名なんぞであるはずもない。

要するに、見れば分かるという種別であり、内容が分からないから開いて確認したいファイルだってあるし、そんなファイルに付いた名前はたいてい「名称未設定」である。

しょっちゅうインデックスを作り直さないと、全く当てにならない Spotlight や、凝り過ぎてむしろ使いづらい項目の並び順序機能より、もっとスマートな形で「そこにある、あれやこれ」を実現できないのだろうか、と常々思う。

「マイファイル」に出てくるのは、出てきて欲しくないモノばかりだし、メモとリマインダー、カレンダーや連絡先を分けることも、ユーザにとっては本来意味がない。とりあえず、書いた後にそれがメモなのか、リマインダーなのか、カレンダーなのか、連絡先なのかはユーザが決めれば良いことで、分類なんぞは後から行えば済む話だ。

欲しいのは、自分が作ったモノが確実にそこにあって見える場所であり、分類はそれをしたいユーザに任せておけばよいと思う。そして、そこが iCloud により各ディバイス間で共有したい場所である。

どうも、最近の iOS との統合のしかたを見ると、真逆なアプローチになっているようだ。

ま、Mac OS の歴史を振り返ってみれば、開けば閉じ、閉じればまた開くの繰り返しであり、まるで10年周期で繰り返される、季節の移り変わりを見るようだ。そのような視点から見れば、さしずめ現状の Mac OS は、二度目の冬の時代に突入しようとしているようにも見える。

今後、iOS との統合が進み、アップルの独自開発プロセッサなどが採用されるようになったら、果たして Mac OS に春は来るのだろうか。

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年11月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.11.03] アップルの陰謀

自分自身、スティーブを信仰しているつもりは全くないのだが、勝てば官軍負ければ賊軍のように、更迭されたスコットの影響に対して悪評を流すのがトレンドのようになっているのは、いささかうんざりさせられる。

前回「どうせ、スコットはハメられたんだろう」と書いた背景には、今回の更迭騒動には素人レベルで考えても不可解な部分が多すぎる、というのがある。

昨今、やり玉に上げられているマップアプリの問題も、ネット上には批判的な意見が大半をしめている。だが、どのような場合でも擁護派(賛同者)より反対派の方が声が大きいのは、珍しいことではないし、スコットが早々に謝罪文を公表することに対して、過剰反応だと反発しても不思議はない。

だいたい、アップル規模の会社組織において、如何に上級副社長といえども最高経営責任者の承認もないままに、未完成なソフトをリリースできるはずがない。クックの肩書きには、最高という文字も経営責任という文字も入っているように見えるのだが、Chief Executive Officer ってのはいったい何する人なんだろうねえ?

ここからは全くの想像だが、せっかくスティーブの呪縛から開放されたのに、未だにその継承者がいることに我慢できない連中が仕掛けた巧妙(でもないけど)な罠にハマったようにも見える。

現在では、アップルの収益の大半を担う重要な役割をもった iOS 機器。そのソフトウェア部門のトップであるスコット・フォーストールと、ハードウェア・デザイン部門のトップのジョナサン・アイヴ。

スティーブはその絶対的な権力のもと、この相容れない二人に相当な権限を持たせることにより上手くコントロールしてきたが、キャプテン・クックには荷が重すぎたようだ。

一時は、イギリスに帰ると駄々を捏ねたとの噂も流れたアイヴ、隠居を表明していたマンスフィールドも、結局はスティーブ不在のアップルで、ミニ・スティーブと揶揄されるスコットとの軋轢に耐えきれなくなって、取締役会に泣きついたのだろう。

アイヴのデザインによる、iPhone 5 の外装が傷つきやすいことが批判の対象になった時、フィル・シラーによって早々に行われた公式見解「それは自然なこと」に対して、マップに関するアップルサイドからの擁護発言は無く、責任者は完全に孤立状態に置かれたに等しい。

Google との契約通りあと1年程度、Siri で実施したようにベータ版として育て上げれば、今回のような批判の対象にならなかったはず。にもかかわらず、Google との契約終了以前に、前バージョンの Google Maps を早々に引き上げて、iOS 6 では継続利用ができないようにした政策に対する説明もない。

おそらく、iOS 6 のリリーススケジュールを急き立てながら、一方では秘密裏にGoogle との契約を終了させ、iOS の責任者として逃げ場をなくしておく必要があった。窮地に追い込まれたスコットが苦し紛れに、以前と同様のらりくらりと逃げおおせると言い出すのは計算通りで、その往生際の悪さを際立たせ不誠実を印象づけること目的であったに違いない。署名捺印に関しては、念のためにトドメを刺したに過ぎないのであろう。(想像、ここまで)

毎度主張していることだが、純正マップはソフトウェアとしての出来自体が悪いわけなく、現状はデータが不足しているだけである。いずれ情報量が増すことによって改善される性質のものであり、要するに時間の問題でしかない。

Google Maps と比べて、どちらが優れているかは関係ない。その他のアプリ同様に選択肢さえあれば、それはユーザが決めることであり、iOS 担当責任者レベルでも、ましてや純正マップ開発チームレベルの問題などでは、全くない。

マップ問題の本質は、従来の Google Maps を使用できなくしてユーザの選択肢を狭め、結果として iOS 機器のユーザ体験の質を低下させた、アップル社自身が行った政策(政治)の問題であることを銘記しておく必要がある。

その最も重要な本質の部分がすり替えられて、突然の謝罪文の発表である。

謝罪文には、Mobile Safari から Google Maps を使えとか、ご丁寧にアップル自ら特集ページまで組んで、もっと出来の悪いサードパーティ製品を推奨するなど、呆れた内容である。

そんなこと、わざわざアップルに言われなくても不満のあるユーザは、勝手にやっていることだ。当初は、どうだいこんなのに比べりゃ純正マップの方がマシだろう、と思わせる巧妙な作戦かと思ったぐらいである。

スコットの性格を知る者なら、そんな茶番に署名を求められれば、当然ブチ切れるだろうと容易に想像できるはずだ。ましてや、スティーブの忠実すぎる継承者として、内外から認知されているスコットに対して、アップルの文化に合わないなどという発言が、公然と語られるに至っては何をか言わんやである。

今のアップルの文化とは、いったいどのようなものなのか、猿にも分かるように教えて欲しいものだ。

またもやアップルが、80年代に犯した大きな間違いを繰り返そうとしているように見えるが、二度目のラッキーはたぶんないと思う。

おおっと、今月は初っぱななら、二本立てだぜい。

…ということで、 ちと飛ばしすぎですが、 ヒトツよろしく。

2012年11月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.11.03] キモチワルイ、レトロ趣味

スコットネタで、ついでにもう一席。

標的にされているひとつが、iOS のインターフェイスに多用されているスキューモフィック・デザイン(Skeuomorphic Design)である。工芸品や実際のテクスチャなど、現実世界のモチーフをエミュレートしたものというのが定義らしい。スコットはその強い信奉者であり、それはまた、スティーブの要望でもあった。

ここで、ひとつ私見を申し上げておく。それの何処が悪いんだ、と。

おう、MacBook Air のカバーは buzzhouse design のハンドメイドレザーケースだし、iPhone 5 のケースは SPIGEN SGP ヴァレンティヌス/ビンテージ・ブラウンだ、文句あっか?

工芸品のような見かけは時代遅れで、コンピュータのユーザインターフェイスには不必要である、というのが反対する陣営の主たる言い分らしい。要するに、電子ブックが紙でもないのに本の形をしているのはおかしいと言うことだ。

アップルでは、重鎮であるジョナサン・アイヴがその推進者であり、ことごとくスコットとは衝突していたらしい。一部のイギリス人にとっては、重厚なデザインの建築物が街中にあふれ返っている景観は見飽きているのだろう。しかし、その反動がミニマルに結びついたというのでは、あまりにも短絡的すぎる気もする。

優れた外装デザインと、ユーザインターフェイスではモノが違う。サー・ジョニーの称号を持つアイヴに対して失礼は承知で提言するが、眺める美しさと触れる心地良さが、同じデザインであると考えているのなら、とんでもない思い上がりであるし、何でも統一されりゃいいってもんぢゃない。

区別もできない意味のない統一は、かえって混乱を招くだけだし、使って心地良いものはたぶんミニマルとは対局にあると思う。

もちろん、実際のお手並み拝見しないと、勝手な評価は無礼千万極まりないことは、自分で書いていても分かる。しかし、コンピュータの外装に関しては、その手腕に文句の付けようがないと尊敬しているが、あんたがデザインした部屋には絶対に住みたくないとも思っている。

ましてや、工芸品のような見かけは時代遅れと一刀両断に斬って捨てられたら、ましてや、外野の方からもレトロ趣味、気持ちワル〜イなどと罵倒されりゃ、腹も立つ。(別に、ジョニーがそう言ったわけぢゃないんだけどね)

iPhone や iPad と Windows Phone の Metro UI を比較してみればわかることだ。

まるで、街頭の看板のようなデザインが画面一杯にちりばめられ、色自体にあまり意味のなさそうなわりに、やたらケバイ色使いは、無駄に疲れると思うが、あれが平気な連中がいるという事実に恐れ入る。ほんと、個人の趣味は多種多様だな。

ただ、この手のインターフェイス論議については、今に始まったことではない。

Macintosh 黎明期のソフトにジャム・セッション(Jam Session)とかスタジオ・セッション(Studio Session)というがあった。

前者は、ミュージシャンの絵柄をバックに音楽が流れ、そのジャムにキーボードやマウスでサンプリング音源を操作して参加できるというもの。後者は、画面上にまんまカセットテープレコーダを表示し、テープが回る様子まで再現した、ある意味バカバカしいソフトである。

当時のモノクロ9インチディスプレイに表示されたそれは、現代のコンピュータグラフィックスを見慣れた者からすれば、アホらしさの極地のような見かけではあったが、その楽しさはそのグラフィックスのクオリティとは無関係である。

もちろん、マックユーザ達には概ねバカウケであたのだが、当然、非マックユーザ(現在のアンチに相当する)連中からは、あらゆるツッコミが入った。極めて無駄の多いインターフェイスであるとか、貴重な資源を浪費する非効率的なプログラムであるとか、それはもうボロクソである。

ま、業務で電子計算機に関わる者から見れば、ウクレレ片手にアロハで企業面接に臨むようなものだから、仕方あるまい。

ただその当時、本心から仕事のために必要だからという理由付けでコンピュータを購入する者は少ない。自家用車でも買えそうな値段のキカイを身銭を切って買うのだから、ビジネスツールというのは資金捻出と周囲(および自分を)の納得させるための口実であり、突き詰めて言えば実際、ほぼ遊び、ただの道楽、むしろ面白そう、みたいな?…だから買うのである。

事実、Mac のそのような機能に対して批判的な連中は、自腹でコンピュータを買ったことがない、または買う気もない者が多かったように思う。公然とコンピュータはゲーム機ぢゃない、といって憚らない。コンピュータに対しては期待するのは、処理能力と計算結果のみ。旅をするにも、その行程は苦痛に過ぎず、何処でもドアを欲しがる、典型的な「ドリルではなく、穴が欲しい」連中だ。

その後に登場した Windows の方が一般に広く受け入れられ、特に業務用という用途では Mac が門前払いに近い状態にあった歴史的事実を見れば、たぶん、今も昔もそんな連中の方が、数的には多いのだろう。つまらんね。

スキューモフィック・デザインに対する、反対派の言い分。

現実世界のモチーフを表現するために機能的に必要でないものまで取り込み、単純にそれは余分なものとなる。無くても済むものはどんどん削り、必要性のみで構成された美しいデザイン、と言いたいのだろう。

余分が必ずしも不要とは思えないが、もし、今後アイヴ主導でユーザインターフェイスが変更されるとしても、iOS のアップデートの時にアイコン内のギアが回らなくなったら、たぶん怒るヤツは少なくないと思うな。それ自体に意味など、それこそ不必要だ。

スチーム・パンクまでは必要ないにしても(嫌いぢゃないけど)、なにか暖かみや潤いのない寒々しさと、過剰な統一はファシズムの匂いすら感じる。そこはやはり過ぎたるは、であり、ある程度は選択肢で賄うしかないと思うがね。

特に最近の若者は、そのようなアナログ的なモノに対して使った経験もないから、現実を連想させるという効果がない上に、固定観念にとらわれて新しい手法を見いだす可能性を無くすことが、懸念されるらしい。また、理解できるかどうかは、ユーザーの経験値次第なので、無駄にハードルを上げる必要は無い、と。

直球で受け取れば、まるで交差点で曲がる時にウィンカー出す人最近少ないんだから、出さなくていんぢゃね、みたいなものである。学校教育においてさえ、いまさら古くさい時代遅れな歴史の授業は不必要とでも言いたいのだろうか。だって、恐竜や北京原人なんか実物見たことねえもんな。

最近、iPod の売上げが低迷して、主たるユーザである低年齢層をなんとか、上位の iOS 機器にステップアップさせたい気持ちは判るが、なんでそこまで、幼稚なガキどもに媚を売る必要があるのか、全く理解できない。本来、知らないことの方こそ問題視されるべきで、そのために教育があるんぢゃなかったのか。

もう温故知新という言葉の意味も、教えていないのだろうか。

別に、iOS が教育的である必要はないが、無知な者に基準を合わせてどうするんだ辞書引けと、ジェド・バートレットも言ってたし、「無知は罪であり、馬鹿は罰である」と、戦場ヶ原ひたぎだって言っているぢゃないか。

…ということで、今月もヒトツよろしく。

2012年11月某日 Hexagon/Okayama, Japan


2012年10月

[2012.10.30] 人事異動

今月は、前回のスティーブネタで締めにしようと思ったら、またもや大きな人事異動の発表である。なんと月末のクソ忙しい土壇場にきて、今月二度目の二本立てだ。

人事のことなど、外野席からでは全く分からないので野次馬なコメントしかできないが、個人的な感想を言えば(それしか言ってないけど)、ブロウェットに関しては遅すぎるぐらいだし、当初から何でこんなヤツがアップルに来たのか不思議だった。

会社としての発展には大きく貢献していることもあり、世間的な評判は良いキャプテン・クックだが、スティーブとは別の悪い意味の朝令暮改を繰り返しているようにも見える。対応が早いことは評価するべき点であるが、それ以前にもっと良く考えてから実行しろと言いたくなることが多い。

トップのそのような対応は、少なからず今後の製品や運営に悪影響が出るものだ。(後先考えず、あまりにも簡単に判子をつくのは止めて欲しいな。←ボブの退職、EPEAT、etc.)

スコットについては、ジョニーとの確執やマップ問題の詰め腹を切らされたという噂だが、少なくともマップに関して責任の大半はクック船長にあると思う。確かにマップの完成度が低いままリリースしたのは、iOS 担当責任者として責められて当然としても、Google Map の継続使用期間を設けるなど、その善後策を含めた全般の運用に関しては、CEO の責任を追及されて然るべきであろう。

ましてや、謝罪文などの署名拒否が問題視されるような話にいたっては、高校の生徒会レベルの話ぢゃあるまいし、そんなモノにおよそ最高経営責任者の署名以外が必要とも思えない。

プレゼンターとしてのスコットは、他のメンバーに比べて何となく信頼に値するような自信に満ちたところがあり、好感が持てていただけに惜しい。もちろん、更迭の原因はそんな些細なことではない、と思うが…。

巷の評判はさておき、スティーブがそう簡単に謝罪しなかったのは、全責任を負っていた彼の確固たる信念(と、それに伴う往生際の悪さ)によるもので、熟考の末決定したことをそう簡単に変えるようなことはしない。その点においては、朝令暮改は彼の方が遥に少なかった。

そうでなければ、命がけでトップの至上命令に従ったスタッフはやってられねえだろうし、スコットがそのような謝罪文に署名することを拒否したり、謝罪文の公表自体に反対するのは至極当たり前の様な気もする。それとも、アップルの各担当上級副社長というのは、CEO をもすっ飛ばして製品をリリースできる絶対権限でも持っているんだろうか?

ま、アップルの親分子分の力関係については良く知らないんだが、いずれにしても、スティーブの時代には考えられないことだ。

以前のアップルであれば、すべての責任(と手柄)はスティーブが担い、それがアップルの顔であった所以である。今のアップルには、ハッキリ言って顔がない。どうして分かる、首無し美女殺人事件状態である。(なんのこっちゃ?)

それにつけても、リマインダ、連絡先、メモが使いにくい。

iCloud 連携の代表的な御三家アプリであるが、早急に何とかして欲しい。

リマインダでは、業務用と個人用を分けるためにリストを作ったら、全てを一覧できない。備忘録というのは、須く全体を見通してその後に細かい分類をすべし、というのが本来のアプローチだと思うのだが。(OS X & iOS)

そうかと思えば、連絡先では反対に分類済みのグループだけを表示しようとすると、やたらに余計なステップを踏まないとできない。そもそも分類に関する基本機能自体が、後述のメモとも大きく異なっており、まるで別会社のアプリケーションを使用しているような気になる。また、グループ作成や既存のグループへの分類など、編集機能に多くの制限があり、これまた Mac 版の連絡先(旧姓アドレスブック)とは外観が似ているだけの全く別アプリである。(iOS)

以前は問題なかったところまでわざわざ改悪するとは、一体何を考えてインターフェイスを作っているのだろうか?(もし、これがスコットのせいなら辞めてもらって一向に構わんと思うな)

メモに関しては、基本コンセプトに根本的な問題がある。長年 Mac を使ってきた者からすれば、コピペでこんなに苦労させられるクソアプリも珍しい。問題は、リッチテキストを優先するあまり、使いやすさが大きく犠牲になっていることだ。フォントの概念が全く異なるモノにリッチテキストは不要だろう。どうしても体裁にこだわるなら、せめてプレーンテキストオンリーの選択肢を設けるべきだ。
(ワープロぢゃねえんだ、メモだよメモ、わかってる?)

加えて、相変わらずバグだらけの編集機能は、いつまでたっても修正されない。おまえら、リリース前にほんとに使ったことはあるのか、と言いたくなる。(OS X)

[以上:フィードバック済]

iOS 担当上級副社長が替われば、ただちに改善されるモノでもないだろうが、せめて以前から気になっていた Mac と iPad の統一性の無さが少しでも良い方向に向かえば、と思う。

製品について変化があれば人事も多少の影響はあったのだろうと、結果から類推するしかないのだが、何も改善されなければその責任者は何もしていなかったか、諸悪の根源はまだ別のところにあるという、より厄介な問題が表面化する。

上記課題に加えて、iPad 版のミュージックアプリの問題(アルバムを跨いだ連続再生機能など)は、iOS 6 になってから少しづつ改善されてきているようだが、今必要なのは、もっと全般に渡って根本的な改革なのではあるまいかという懸念であり、あらたな人事によって任された担当者の手腕が問われる。

しかし、NeXT 時代からのメンバーがまた一人去ることによって、スティーブのカラーが一段と薄められていくのはちょっと寂しい。

てなこと言って、小綺麗にまとめてみてもしょうがない。

どうせ、スコットはハメられたんだろう。無責任な言い方かもしれないが(だって責任なんて全く無いもんな)、アップルのお家騒動なんてどうでもいい。アップルがさっさとバグを直して、新製品をとっとと出荷して、新たなワクワクさせてくれる何かを提供してくれりゃ、ぶっちゃけトップは猿でもいいと思っている。
(なんなら、オレがやってあげてもいいよ〜)

…ということで、来月もヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.30] 朝令暮改

今月は、スティーブの命日(の月)である。よって、最後までスティーブネタで押し通すことにする。

彼については、すでにあちこちで語り尽くされており、一年もたっていまさらな感はあるが、昨年、突然の訃報に接したおりには、書きたいことは山ほどあったにもかかわらず、何も書けなかったことが悔しい。

この一年、スティーブに関する書物は新たに出版された物、過去に出版されたものも含めて一切読んでいないし、資料もたいして読み返した訳でもない。あくまでも、自分の記憶の中にある彼をもとに書いているので、けっこういい加減であやしい内容にはなると思うが、もともと言いたい放題の雑記/雑想がこのサイトの基本方針なので、問題はあるまい。

以下、長文につき別ページへ...つづく

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.27] iPad mini の価格

アップルイベント終了直後から、iPad mini の設定価格について各方面でブーイングが起こっている。(とにかく、アップルに対するブーイングが好きだな)

不満を述べる大半は、ライバルと思しき連中の価格を基準に金額の多寡を論じているようだが、それ自体あまり意味がない。安けりゃいいというユーザは、今回の iPad mini の顧客対象になっていないだけだろう。

一方で、スペックの割に高いという意見もあるが、確かに一理あると思う。液晶は高々1024×768 で Retina ぢゃないし、A6X でもないからメモリもそれなりである。だが、アップルがこれでいいと考え、実際に購入するユーザが十分であると判断すれば、スペック自体意味がないし、逆に他社製品と比べてスペックが高かったら、もう勝負にならんだろう。

ま、アップルは価格で勝負する気は、更々無いようだが…。

競合他社にとってアップルの設定価格は、一時の安心材料にはなっただろうが、後が大変だ。もし、大方の予想に反してあの価格で相当数売れた場合、ぎりぎりまで利益を削ってきた低価格市場で、これからもずっと消耗戦を戦い続けなければならない。また逆にさほど売れなかったら、そこには他社製品の市場も存在しないことになってしまう。

このあたりが自ら市場を作り上げてきた者と、後追いを続けている者との決定的な違いになる。市場占有率を論じる場合、アップル対競合製品(複数社)の数値比較が引き合いに出されることが多い。(Mac vs Windows とか、iPhone vs Android などいずれも1対複数の比較である)

定期的に発表される、国内の売上ランキングなどを見ても iPhone や iPod などは、たいていキャリア別、容量別、カラー別など、それはもう涙ぐましいほど事細かく分断され、そこそこレースになっていることをアピールしたいのだろうが、どの方向から見てもそれは結局アップル一社の製品であることに変わりはない。

製造過程における量産効果を考えたら、アップルとその他大勢を束にした比較自体が、意味のないものになる。マスのメリットは、各社単独でどれだけの数が発注できるかで仕入価格が決まるのだから、バラバラに作って結果だけを寄せ集めても効果は低い。

また、アップル製品が他社に比べて高いのは今に始まったことではないし、もしアップルがより安く作ろうと思えば、いつでもできるだろう。それも他社が絶対マネできない、低価格でさえ。(シリコンオーディオの先陣を切るべく発表された、iPod nano の初代では、その低価格にブッ飛んだことをもう忘れているのだろう)

以前にも書いたが、カメラやその他センサーの類いを外して、iPad との互換も考えなけりゃエントリーレベルとしてふさわしいリーズナブルな価格だって実現できただろう。業務用途や教育市場に特化した製品を作ることが目的なら、現状の iPad にはさほど必要のないモノもある。

セキュリティの面から、カメラやカメラ付ディバイスの持込みがが制限されている場所もあるくらいだし、一般ユーザにとっては便利なフォトストリームの機能でさえ、邪魔になる場合もある。なにせ、撮影後に持ち出さなくても、自動的に複数端末に送信されて、企業秘密などいとも簡単に公然の秘密になっちまうんだから。

もし、アップルがその手の製品を作るとしたら、従来の iPad で作り上げてきた客層とは別の市場に乗り出す時だ。今回は経営判断から、それをしなかっただけである。要するに、いずれ参入するかもしれないが、今ぢゃないということだ。(ま、少なくとも今回の iPad mini は、積極的にそういう市場を目指して作っていないけど買ってくれたら嬉しいな、という程度のスケベ心はあるかも)

生前、スティーブの朝令暮改を悪い面としてのみ捉える者が多いが、それは誤解を通り越して曲解ですらある。典型的な大手企業のトップのように曖昧な玉虫色発言をしない上に、露出度が高いカリスマ経営者としての、感情的な発言までを捉えられた結果に過ぎない。

以前、何かの交渉で決裂した時のエピソードに、相当頭に来たスティーブがインタビューに答えて、怒りが治まったら再度交渉のテーブルに付く用意はあるが、それは決して今週や来週ではない、というもの。仏頂面でノーコメントと言うより、遥かに気が利いた表現だと思うが、このようなコメントの一部が強調されたものも多い。

また、スティーブが既存の製品はボロクソに貶すのは、たいてい俺様が作ったらもっと良い物が出来ると考えているからで、iPod や iPhone もそうだったが、7インチクラスのタブレットだって同じである。

タブレット市場と言える物が存在しない時代は、ユーザエクスペリエンスの観点から、最初はより大きい画面にこだわる必要があったのだろう。しかし、ある程度機が熟せば、より軽く小さい物に対する需要が生まれる可能性はあるが、それはまだ先であるとの判断が下されることもある。

そこから短絡して、以前は否定的であったのにどうして、という疑問を抱くバカが多いのには呆れる。イノベータと呼ばれる者は、それを実行に移すタイミングについても、重要な要素となることを知っている。何でも、早い物勝ちとは限らない。

ましてや、アップルがより小型なモデルを投入することについて、他社の後追いに入ったなどというマヌケな論評を目にするが、とんでもない思い上がりである。現状の7インチクラスのタブレット市場でさえ、iPad の 9.7インチによって作り出された、いわばドーナッツの穴みたいなものであり、 iPad がなければ存在しなかったものだ。

iPhone に対抗してでっち上げた、携帯電話の画面を単に大型化したモノと iPad の違いは使ってみればわかるが、使ったことがなければ似たような物に見えるだろう。数の上では、まだそのような潜在的な顧客の方が多い今のうちなら、安けりゃ売上は稼げるかもしれない。が、その顧客が次にも購入してくれるとは限らない。

ただ、Mac も含めて本来アップル製品自体、市場で最も多く売れるようなシロモノではないと思うし、iPod のようにコモディティ化した他のジャンルと同様に、いずれ数の上では普及品が大半を占めることは、自然の流れという気もする。その点では、iPad が君臨する市場というのはまだまだ日用品にはなっていない、ということだろう。

客観的に見て iPad mini の設定価格は高いと思う。たが、個人的には高すぎるとは思わないし、ましてや売れないとは思わない。今までの iPad によって、そういう購買層がすでにでき上がっているから、たぶん相当売れるだろう。

スペックや低価格ばかりをウリにしてきた競合他社は、たはたしてそのような購買層を作ってきたのだろうか?

で、iPad mini 昨日午後4時に速攻で予約入れました、ハイ。

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.26] iMac vs Mac mini

昨年来、旗艦を担っていた iMac 27 (Mid 2011) が、請われて新天地へと旅立って以来、この数ヶ月は MacBook Air 11 (Mid 2011) がその重責を務めてきた。

もちろん、出先などで単機の使用においては十分快適であり、それほど不満があるわけでもない。しかし、外部モニタを接続してデスクトップ機的な使い方をすると、途端に馬脚を現す。如何に Core i7 とはいえ、低クロック(1.8GHz)モバイルプロセッサの能力とメモリ不足に限界を感じる、今日この頃である。

ま、スピードスターに最大積載量を問うような使い方自体に、問題があることは判っているんだけどね…。

MacBook Air の機敏な動作は、内蔵ストレージである SSD に依るところが大きい。ノート型&外部モニタという構成で使用する場合は、どうしても本体内蔵ドライブの容量の問題から、外部ドライブに不足分を補ってもらう必要があり、その場合、全体の処理速度の足を引張るのが、外部ドライブとのインターフェイスである。

iMac 27 には FireWire 800 があったので、それなりに使えていたのだが、残念ながら MC969LL/A にはそれが無い。雷は未だ対応が少なく高価であることから、やむなく USB 3.0 の外部ドライブを調達した。当然、本体のインターフェイスが USB 2.0 なのだから速度はそれに準ずるわけで、現状ではあくまでも将来のための先行投資にすぎない。

2011年当時 USB 3.0 が搭載された Mac はなく、2012年6月の MacBook シリーズが初であり、同時期にアップデートされた Mac Pro でさえ、5つもある USB ポートは全て 2.0 という為体なのは、まことに情けない話だ。(どうせ買えないから、関係ないけど)

で、今回やっと 2012年モデルも出揃い、新 iMac の全貌が明らかになったのを機に次期主力機の選定に入ったのだが、各機種の仕様をつぶさに検証するに従い、あらゆる問題点が浮き彫りになってきた。


まず、期待の大きかったドラフト1位指名の iMac だが、USB 3.0×4 Port は鉄板であるとしても、Thunderbolt×2 Port と引き換えに FireWire 800 が全滅という暴挙である。FireWire など、アップルがお見限りなら即絶滅危惧種認定である。

Thuderbolt からの変換アダプタみたいなものでもあればと思うが、いったいどうするつもりなんだろうか?

加えて、IR Receiver は、…まあよかろう。光学ドライブなんぞ、どうとでもなるからかまやしないんだが、個人的には使用頻度もそれなりにあった、オーディオ入力が無くなり出力のみになっているのが痛い。

[訂正:10/30]Apple iPhoneマイク付きヘッドセットに対応というのは、少なくともアナログ入力には対応しているという意味なのだろうか?う〜む、紛らわしい。

さすがは、先走りには定評のある斬込み隊長 iMac の面目躍如といったところだが、実際問題、現状これでは困る。

(仕事柄、手元には新旧含めて Mac は複数台あるんで、メイン機に多少了見の狭いところがあったからといって、目くじらを立てるほどのことでもないんだが、一応ね。)

で、翻って Mac mini を眺むれば、なんだ全てあるぢゃないか。


オーディオ入出力(デジタル/アナログ)を始め、FireWire 800×1、USB 3.0×4、HDMI×1、Thunderbolt×1、SDXC×1、とあの小さな筐体に必要なものは全て揃っている。(愛いヤツぢゃ)

おまけに、発表会場では触れられていなかった、Fusion Drive まで CTO で選択できる。 iMac に比べると Quad-Core i7 のクロックが若干低いのが気になるが、敵は Quad-Core i5 であり、CTO で 2.6GHz までいけば誤差の範囲だろう。GPU は、この際見なかったことにしよう。(う〜む、どこかに落とし穴があるような気がしないでもないが…)

惜しむらくは、今回 Thunderbolt Display のアップデートについて言及されなかったことだ。こちらも、当面 Retina 化は無理っぽいが、せめて USB 3.0、百歩譲って現行機種の価格改定ぐらいは欲しかった。モニタの仕様上近い iMac の価格を考えると、8万越えのモニタに手を出すのはやはり躊躇する。

ま、キー坊マウスの類いは現行流用でコスト削減できるなら、賢い選択ではあるまいか。しばらくは LED 島根24 の老体に鞭打って凌ごう、…という iPad mini の話題で騒然の中、全く無関係で個人的な、次期旗艦選定の顛末でした。

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.24] アップルの新製品

サンノゼ・カリフォルニア劇場で開催されたイベント、今回はリアルタイムで見ることができた。80分にも満たない短時間に、MacBook Pro、Mac mini、iMac、iPad、iPad mini と多くの製品が、駆け足で発表された。

CEO の自慢話(業績紹介?)に続いて、フィルによるハードウェア紹介、ジョナサンをはじめ各担当部門のバイスプレジデント演じるビデオと、最近では定番になっている構成である。が、あまり面白みはない。

以下、都合により別ページへ...つづく

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.06] スティーブの一周忌

世界が悲しみに暮れる中、茫然自失で涙を拭きながら、それでもしっかりと速攻で予約した昨年の iPhone 4S の発表から、ちょうど1年。今日は、スティーブの一周忌である。

もうすでに、次代の iPhone 5 を使用しているが、前機種の iPhone 4/4S だって下取りに出したわけぢゃない。自身にとって最初の iPhone となった、iPhone 3GS も含めて高機能 iPod として余生を送っている。

おかげで、以前のような新製品発表の度に iPod シリーズを買い散らかす必要がなくなった。

本当にワクワクしながら購入したのは、2009年の iPod shuffle 3rd が最後であり、一般的には人気がないようだが、最もお気に入りの iPod でもある。世代的には、アップルによって元祖 iPod nano と無理やりすり替えられた iPod nano 6th というのが新しい。しかし、初代 iPod touch と並んで発表と同時に、これはぜひ欲しいという激情にかられた、実にインパクトの強い製品だった。この2機種に比べると、2001年の最初の iPod にさえ、そこまでのパッションは感じていなかったかもしれないなあ。…余談である。

最近、iPod も touch 以外は毎年ニューモデルが発表されるわけでもなく、カラバリかマイナーチェンジでお茶を濁すことが多くなり、良く言えば完成の域に達したかに見える。

さすがに今回は、iPod nano に関しても機能を絞ってお勤め品 iPod touch のようなアップデートが施された。一時のような、カメラまで搭載した悪ノリは影を潜め、客層に合わせたモデル展開であり、真当な更新であるといえる。

ただ、見方によってはそんな手抜きともいえる製品と真っ向から対決しなければならない、その他のメーカさんはたいへんだろう。ありとあらゆる趣向を凝らした製品を発表しても、ユーザ側が「面倒だから iPod でいいや」的なノリで選択されたらやってられねえな、と思っても無理はない。

たが、アップルがこんな楽な商売ができるのはある意味 iPhone のおかげである。

凝った機能も先端技術も望めば iPhone がある、割り切れば iPod shuffle があるで、全周囲をアップルに制圧されてしまった感がある市場には、もう大きな隙間はない、手遅れである。せいぜい活気があるのは iPhone/iPod 用に特化された、コンパクトオーディオぐらいか。

アップルは、90年代に逆の立場で Windows を相手に奮闘していたのだから、隔世の感はある。

ま、少なくともスティーブはアップルの創業当時も復帰後も一貫して、他社と勝負しようとか、市場占有率を稼ごうとか下世話な発想はしたことはないだろう。ただ、単に自分が納得できる製品が作りたかっただけだ。だからこそ、市場調査もしないし、結果として時にはピントの外れた製品も作った。しかし、そのピントもその時代に合っていなかっただけで、売れなかった原因は全く別のところにあった様な気もする。

そんなアップルに挑むメーカには、スティーブがそうであったように、世界を変えるんだという気概でもないと、勝ち目はない。いや、端っから勝負にもならないだろう。

アップルは、iPod に対して肌身離さずいつも持ち歩いて欲しい、という願望を実現するためにはどうすべきか。で、人々がいつも持ち歩いている機器に合体させちまえという発想を、コンピュータに対しても同様のアプローチを行った結果が iPhone である。

個人的には、もうすでに電話という機能は数あるアプリケーションの一つでしかないし、携帯電話であるという感覚すら希薄になってしまった。文字通り、世界は変わったのである。

iPad に対しても、アップルの後追いをしている現状では、勢力図に大きな変化はないだろう。iPad の価格政策のおかげで生まれた、お勤め品市場もいずれアップルによって埋められてしまう。もちろん、大手メーカにはそれなりの売上げは見込めるだろうし、市場占有率に関してはトップに立てることだってあるだろうが、イノベーションは望めない。

ま、そんなものを望んでいたのは、スティーブぐらいだろう。今のアップルがどうなのかは、正直わからないが…。(ほんとに 2050年まで続けるならあっぱれだが、間違いに対する謝罪もなく、すぐに2013年に修正してしまうあたりが、セコイ会社だ←iCloud の無料ストレージ)

アップルもスティーブ亡き後、Mac の現状は iPod ほど楽ぢゃないことも、肝に銘じていた方がよいと思うな。(iMac はいったいどうなるんだろう?)

ぶっちゃけ、いちユーザとしては、アップルのシェアなんてどうでもいい。ましてや、株価や時価総額など、どうなろうと知ったこっちゃない。70年代後半のApple II の時代からからずっと望んでいるのは、何が何でも欲しくなる製品を作りだすことで魅惑し続けて欲しい、というただ一点だけだ。

わーお、スティーブの命日に二本立てだぜい。


…ということで、ヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan

[2012.10.06] マップの実用性

前回、地図なんてどうでもいい、てなことを書いたが世間が騒ぐレベルで問題視していないという程度の意味であり、ほんとにどうでもいいわけではない。

たしかに、情報量および情報の正確性に関しては、iOS 6 搭載のマップには問題があり、それ自体ささいな問題でもないだろう。だが実際問題、アプリの実用性なんぞは利用者の視点が変われば、評価は大きく変化する。現時点で騒がれているのは、主に首都圏に住む連中の苦情が大半を占める。

やつらにとっての実用性では、ビルの形やコンビニの場所、果ては地下鉄のホームに至るまで事細かく網羅していないと気が済まないのだろう。いくらカーナビがこの先ずっとまっつぐだといっても、崖から飛び降りるバカはいない。大阪駅が餃子の王将になっていようが、マクドナルド駅やパチンコガンダム駅が存在しようが、現実の駅を見りゃわかるだろうが、と思う。

数の勝負になれば、人口密度の高い地域に住む者の意見が重視されるのは民主主義の基本だから仕方がないが、田舎者にとってはどうでもいい意見も少なくない。

以下、都合により別ページへ...つづく

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.02] EarPods その後と iPhone 5 雑感

[MD633J/A] Apple iPhone 5 64GB White

マップアプリがホラーで面白過ぎると、何かと話題沸騰の iPhone 5 (iOS6) であるが、昨年の iPhone 4S と同様に運良く発売開始日にゲットできた。

前回 Earpods の iPod shuffle 3rd 未対応問題に関して書いたが、案の定単体で購入した個体の問題ではなく、iPhone 5 に付属している製品でもやはり動作はしない。

しかし、製品付属のマニュアルおよび、先日からダウンロードが可能になった PDF 版においても、やはり iPod shuffle 第3世代以降に対応と記述されている。

ただのヘッドフォンとしてなら元祖 iPod でも使用できるんだから、わざわざここで対応を謳う必要もないので、当然これはコントロール機能も含めた対応であるはずだが、リモコンは全く反応しない。

だいたい歴代 iPod の中でも唯一、自らコントロール機能を持たない iPod shuffle 3rd に対応しないという仕様は、理解に苦しむ。

以下、都合により別ページへ...つづく

…ということで、今月もヒトツよろしく。

2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan

2012年09月

[2012.09.14] Apple EarPods は iPod shuffle 3rd のみ未対応

[MD827FE/A] Apple EarPods with Remote and Mic

う〜ん、なんでかよくわからん。

9月13日早朝、速攻でポチった EarPods が今朝方到着したんだが、リモコンが全く反応しない。

従来のアップル純正リモコン付きヘッドフォンと全く同じ 4P プラグだし、その他のすべてのiPhone、iPad、iPod の歴代モデルで問題なく使用できるにもかかわらず、なぜか第3世代の iPod shuffle では使用できないのだ。

Apple Store で購入前に確認した時は、確かに対応機種に入っていたはずなのに、14日の午後に確認したら iPod shuffle 3rd のアイコンだけ消されている。

こんなことでもなけりゃめったに読まない、添付のマニュアルの7ページ目には「第3世代以降の iPod shuffle で使用できます」と明記されている。

ということはやはり、今日午前中のストアメンテナンスの時に、証拠隠滅されてしまったようだ。

くそ〜、スクリーンショットでも撮っていれば…、だからといってどうなるもんでもないだろうけどね。

しかし、Bose OE2i などの社外品でさえ正常に動作するのに、iPod shuffle 3rd でのみ動作しないように設計するのは、相当に高い技術を必要とするだろう。さすがは、iPod の内部まで知り尽くしているアップルが、3年もの歳月をかけて開発しただけのことはある。

もちろん、早速アップルのサポートに対してひとこと文句を言ってやったのは言うまでもない。が、結局早急に調査いたします的な返答しか得られていない。(最初に応対した担当者は、対応機種になってないんだからアンタが悪い、と不満そうだったが)

ま、結論として少なくとも現時点では、
[MD827FE/A] Apple EarPods with Remote and Mic は、
第3世代の iPod shuffle のみ未対応!
 …ということだ。

とりあえず、オンラインストアのページには、なんでもおけ〜に見えるような、あんな紛らわしい表記でなく、未対応機種の方が少ないんだから、ハッキリ太字赤字で書いといて欲しいなあ。

ま、ヘッドフォンとしての印象はけっして悪くない。装着感も耳栓タイプの [MA850G/B] Apple In-Ear Headphones with Remote and Mic よりも、個人的には好感が持てる。

詳細は、後ほど…。

[2012.09.13] New iPhone

予想どおり、まんま予想どおりのカタチで新型 iPhone が発表された。

その名も直球の「iPhone 5」である。ついでに、iPod touch および iPod nano も発表されたが、デスクトップ Mac は見送られた。モバイル製品群とは別に、ひっそりとアップデートされるのかもしれないが、いずれにしてもあまり力は入っていないようだ。

しかし新しい iPhone、いずこのサイトにおいても「予想どおり」と表現されているが、これってもう予想ぢゃなくない?

「予想」を辞書で調べると、これから起こることについて考えをめぐらし、おしはかること。前もって予測すること。また、その内容。…とあるが、どこにも事前に盗み見た内容を公にすることとは、少なくとも日本語の辞書には書かれていない。

昨今のアップル製品、特に iPhone に至ってはそのものズバリなパーツが流出していることが多過ぎて、すでに誰も予想などする必要もない。予想というのは、もう少し上品な行為に対して称される言葉であるような気がするが、それがどうしたと言われりゃ返す言葉は持ち合わせていない。

ただ、報道の自由、知る権利の名の元に晒される情報の大半が、泥棒行為とも言っても過言ではない手段で得られていることも紛れもない事実で、実にけしからん状況である。

先日、22年の長きに渡って愛用してきた自動巻きの腕時計が、ついに時を刻むことを止めてしまった。たぶんヒゲゼンマイが切れたのだろうが、当面修理する金も無いので代わりのアナログ時計を、市場の数多あるお勤め品群の中から探してみた。

で、驚いた。それはもうありとあらゆるパチモンのオンパレードである。世界的に名の通った某国内有名メーカでさえ、なんの臆面も無く、それこそルック&フィールなどといった細やかなものではなく、有名ブランド品のデザインをまんまパチッているではないか。

自動車業界でも国産車のデザインに関して少し前までは、何となくああアノ車から頂いたワケね、というものは少なくなかった。が、最近はお互いに節操もなくパチリ合うことで、いったい何がオリジナルなのか、特定が困難になってしまった感がある。

しかし、1990年頃に件の時計を購入して以来、その他の製品に対する興味は失せてしまったので、久しぶりに覗き見た腕時計業界の現実には、少なからずカルチャーショックを受けてしまった。

逞しいというか、恥も外聞もあるもんか的な、開き直りさえ感じる業界である。パチられた方もさほど気にしていないようで(というか、知らないだけかもしれないが)、あまり大々的な訴訟になったというニュースは、寡聞にして聞いたことがない。

ま、 あれに比べりゃ、コンピュータ業界はまだまだ可愛いものだと、なぜか安らかな気持ちになってしまう、今日この頃でした。

…ということで、ヒトツよろしく。

2012年09月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.09.08] 次期 iMac はどうなってるんだ?

なかなか見えてこない、新型 iMac の動向。

来週には発表になるとか、いやいや10月だろうとか、情報が少ない上に交錯している。昨年5月以来、1年半ぶりのアップデートなんだから、Ivy Bridge、USB 3.0 は当たり前にしても、何かもうひとつ華が欲しい。

以前より、Retina Display は(価格面で今年は)まだまだムリっぽいという見解を持っていたんだが、そうなると 2012年モデルの華はいったい何なんだろう。

もはや確実視されている、光学ドライブを外してくるというのは、デスクトップ機としてそれほどメリットにはならない。可搬性を必要とするノート型と違い、デザイン上の自由度は広がるものの、下手をするとマイナス面になる要素しかない。もし敢えてそれをやるなら、ユーザにとってそれと引き換えに得られる、もっと大きな何らかの有利性が必要になる。

新しい iMac には、いったい何を与えればそれが実現できるのだろう?(コスト的にはタダ同然の光学ドライブを外して、である)

デザイン? スペースユーティリティ? 大容量 SSD?

それとも、大型液タブみたいなタッチパネル?

いずれにしても今までにない、思い切った方向からの過激なアプローチが必要になるだろう。そうでないと、1年半もかけていったい何をやっていたんだ、という批判にさらされるのは目に見えている。

ま、すでに来週には答えが出るだろうという時期(次期?時季?時機?次機?)に、いまさら四の五の言っても始まらないことは承知の上である。

ただ個人的には、Retina Display とは呼ばなくてもいいから、せめて山猫から標準になったデストップピクチャのサイズ並に 3,200 × 2,000 ( or 3,200 × 1,800) 程度は奢ってもいいんぢゃないかな。アイコンも 1,024 ピクセルになったりで、とりあえず高解像度化の準備は整いつつあるんだし。

…とも思うが、それならなんでこの時期まで引張る必要があったのか、山猫発表と同時でも十分に可能であったはずなのでは?

とか、いろいろな妄想が尽きない今日この頃。

…ということで、今月もヒトツよろしく。

2012年09月某日 Hexagon/Okayama, Japan

2012年08月

[2012.08.01] 山猫、当面の問題点

まいど OS のメジャーアップデート時には、目が点になったり開いた口がなかなか塞がらない仕様変更がお馴染であるのだが、今回の山猫においても全く予想を裏切らない、突っ込みどころ満載である。

もちろん初期バージョンということで、おいおいに改善されるものとおぼしき細やかなミステイク程度のものもあるにはあるが、中には何年経っても修正されないまことに腹立たしいものや、おいそれはねえだろう、という類いの仕様変更も数多く含まれる。

また、iOS 機器との関連項目に関していえば、今回は Mac 側が若干先行しているので、いずれ登場する iOS 6 にて修正される点もあるだろう。したがって、あくまでも現時点においては、という視点に基づいているので、そのへんは2割引ぐらいで、ヒトツよろしく。

以下、都合により別ページへ...つづく

…ということで、今月もヒトツよろしく。

2012年08月某日 Hexagon/Okayama, Japan

2012年07月

[2012.07.25] 山猫雑感

アップル、 OS X Mountain Lionをリリース。価格は1,700円で[Mac App Store]よりダウンロード可能。ただし、ネットワーク環境によっては、それなりの覚悟が必要になるファイルサイズ(約4.37GB)。

本日よりダウンロード可能になった、山猫(10.8)を早速インスト。ファイルサイズはライヨンより、若干増えたようだ。

再起動後、いきなりカレンダーの通知が大量に画面サイドにぶら下がったり、あっちやこっちからパスワードを要求される。え〜い、いっぺんに言うて来るな鬱陶しい、と思いながらも不承不承入力。

お次は、新しくお目見えのメモが iCloud へアップするかとか、テキストエディットを開けば開いたで、iCloud へ移動する手順を表示したりで、なにかと新機能を披露したがる。

対応アプリの確認ため、一応一通りのアプリを起動してみるが、古い(たぶん未対応と思われる)アプリはすでに前回のライヨンで引導を渡されているので、大きな問題は無いようだ。

ただ、ゲートキーパがデベロッパー未登録のアプリを拒絶するものがいくつかある。ダブルクリックオープンは出来ないが、右クリやメニューからの起動はできるらしいし、一度起動してしまえば再起動するまでは黙認してくれるようだ。

ま、セキュリティレベルを下げてまで、使用しなければならないものはそう多くないので、とりあえずデフォルトの中間レベルで様子を見ることにする。

とまあ、いろいろ今後の課題も多いようだが、新しい機能の数々、見ていて飽きないもんだ。ちなみに、山猫があんまり可愛くないんで、ウチのにゃんこ(生一君)の写真に差し替えましたのであしからず。(目つき悪いし、なんでコッチ睨んでんだ?)

詳細は、またあらためて後ほど…。




[2012.07.06] iCloud 移行とMac 雑感

「6月30日以降、ご利用のメールは iCloud へ移行されます。」


案の定、目の前の厄介ごとを先送りにしただけの、姑息な対応だったようだ。昨日になってようやく、iCloud 非対応機器においてメールのエラーが発生し始めた。

標題の件は、額面通りの「自動強制移行への予約手続き」に過ぎなかったことが、今頃になって判明したわけである。

以下、長都合により別ページへ...つづく


…ということで、今年後半もヒトツよろしく。

2012年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

今年もなんとか折り返し点に到達したので、
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2012年下半期